私のナラティブ

正しいかどうか別として ごちゃごちゃ頭の整理箱

人生はマラソン

 

 

 

生まれた瞬間に、ピストル音が宙に散る。

 

 

両手を挙げながらゴールテープを切る瞬間、

人は死ぬ。

 

 

 

そう仮定しよう。

 

 

 

 

生きることに真面目すぎて、

焦って、急いで、疲れてしまった、

そこのあなたと私自身に向けて、

私は今、つらつらとこの記事を書いている。

 

 

 

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自分はまだまだ出来るのに、

やらせてもらえなかった。

自分は出来たと思っているのに、

大人は評価してくれなかった。

 

そんな過去があったからか、

それは分からないけれども、

とにかく実績を残したかった。

 

 

 

 

自分で何かを創り、それを大きくしたかった。

自分から何かをはじめ、それに人が集うことに魅力を感じていた。

 

エメラルド倶楽部に入りたいと思った。

 

 

 

自分自身にブランドが欲しかった。

 

 

 

大半の人間から、悪い意味で一目置かれていたと自分では思っている。

だからこそ、良い意味で一目置かれたい、

認められたい、ギャフンと言わせたい。

そんな感情をずっと抱いていた。

 

 

 

 

だから何もかも、がむしゃらに頑張った。

(座学以外←)

 

…座学とかそういう、

インプットばっかで実践できない勉強はどうも苦手だ。

社会人になるんだから、そうも言ってられないけども。

 

 

 

 

バイトではエースを目指し、

実習でもオール5を目指した。

 

 

 

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それに飽き足らず、

自分の市場価値を上げるべくいろんなことに手を出した。

学校とバイト以外の繋がりをつくりに行った。

 

 

 

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 リンクいっぱい張ってすみません。

うるさいですよね。

気になる方は過去の記事を見て下さい。

 

 

 

 

 

 

そんな私にとって、人生の醍醐味。

 

 

 

 

 

それは「就職活動」

 

 

 

 

 

 

 

最初は頑張っていた。

 

起業スクールも就活を意識しての行動でもあったし、

インターンに応募したり、

学校で行われる就活・インターン対策セミナーに参加したりしていた。

それが、春から夏にかけての話。

 

 

大学のランク的に、そして学部柄、

少し就活に疎いのもあるとは思うけれども、

私は周りに比べて就活の意識が高く、

早くから動いていた方だと思っている。

 

 

 

加えて、訳分からんバイトをはじめる。

 

 

 

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んで、秋から実習。

 

 

 

何なら昼間暇だからといって、

昼のバイトも始めたりした。

それが冬くらい。

 

 

 

すべての期間に並行してやってたのが、

学校と焼肉屋でのアルバイト。

 

 

 

最初はマスコミ系を目指していたから、

秋冬にあるインターンとかセミナーにもめちゃくちゃ応募した。

 

 

 

 

これら全部頑張った。

全部。がむしゃらに。

 

 

 

 

結果どうなったか。

 

 

 

 

無論。

 

 

 

 

疲れて病んだ。

 

 

頑張ったって所詮相性なんだと悟った。

私を見るのは機械でも何でもなくて、人間で。

結局誰かの主観の基、判断を下す訳で。

 

落ちたからといって、

その失敗を次に生かせるかって言ったらそうとも言えないし。

何より時間をかけたくせに全てがパァになることにむしゃくしゃする。

 

就活は相性。

婚活だとかマッチングアプリだとか、そういう類のものと一緒だとよく聞く。

 

恋愛において、

自分から相手にアタックしたことが皆無、

常に自分に寄ってきた人間を受け入れてきた私にとっては、

就活はというのは少々ハードルが高いみたいだ。

 

 

自分から行くとか、コスパ悪。

そう思ってしまう。

 

 

 

 

だからこそ頑張りたくないし、

でも頑張ってる姿を見せないと

企業には良い風には見えない。

 

 

 

キラキラ輝いていない人間を誰が肯定的に見るだろうか?

 

 

 

それに、

やればやるほど

自分がどうなりたいのか

どう生きていきたいのか

分からなくなってくる。

 

 

 

 

 

休みたい。

けど、年始からこそ就活を進めねば。

休んでなんていられない。

 

 

 

 

でも…。

 

 

 

 

 

そんな感じで、

説明会とか、セミナーとか、

予約キャンセルをすることがしばしばあった。

 

 

 

体と心が磨耗され、動きたくても動けない。

動けないことで、何も出来なくて、

罪悪感に苛まれる。

 

 

 

休んでも休みきれない。

動いても動ききれない。

 

 

全てが不完全燃焼。

 

自分が自分として機能してなくて。

 

 

 

 

 

そして、一回ドカンと病んだら治るのが難しい。

 

 

スポーツと同じように。

 

中高テニス部だった私は、

休憩時間を取らずに練習や試合を続け

水分補給やストレッチを十分にしなかった結果、

脱水症状やスポーツ貧血で倒れる。

もしくは足をつる。

そうして練習早退。試合は中止。私の負け。

誰かにおぶってもらって帰る。

 

コンスタントに休憩をとっておけば、

最後まで練習できただろうし、

大会でもっと良い結果を残せたかもしれないのに。

 

そんな日はざらにあった。

 

 

 

 

就活の話に戻そう。

一回染み付いた思考回路は中々払拭出来ない。

3日間くらい休んで、さあ頑張ろう!と意気込む。

けどいざ頑張るとき、すぐ疲れてしまう。

3日間も休んだのに。

 

それが、1週間、2週間、1ヶ月、、、

 

自分の「休息期間」がだんだん増えていく。

 

 

 

 

 

 

なんてコスパが悪いんだ!!!!!

 

 

 

 

 

 

最近ふと、

高校時代にノリで占いをしてもらったことを思い出した。

 

友達と街ブラをしていて、

たまたまフリーマーケットが開かれていて、

一角に怪しいマダムがちょこんと座っている。

手元にはタロットカード。

段ボールで出来た看板には、

「占い 500円」

 

あの日、色んなことして遊んだはずなのに今では何も覚えていなくて、

でも不思議なことに、占いをしてもらったことだけは唯一覚えている。

 

 

 

 

怪しいマダムに言われたこと。

 

 

「自分にご褒美を与えなさい」

 

 

私の性格を見事に言い当てられた上で、

(汎用性の高い性格を羅列したに過ぎないかも知れないけど、当時の私には響いた)

そうアドバイスを貰った。

 

なんでもいい、ご飯でも、遊びでも。

適時自分を褒めて褒美を与えることで、

貴方は躍進するでしょう、と。

 

 

その際引いたカードは何故か貰うことができ、

今でも持っている。

 

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今思い返せば、

休むときに「自分へのご褒美」

と思ってたことがあまり無かった気がする。

 

「疲れたから、明日の為に休む」

「モチベが下がったから、モチベを上げるために動画を眺める」

「ムシャクシャする気持ちを引きずりたくないから、タバコを吸う」

 

 

どれもこれも、

常にその先のこと見据えて、

常にやるべき事を抱えてて、

マイナスをゼロへ持ち上げるための手段に過ぎなくて。

 

 

 

その日自分が頑張った事や耐えた事、

それを評価し認めることがあまりなくて。

 

自分がやるべきことは当たり前のことで、

ご飯を食べて、寝る、みたいなことと同じように、

「それをした上で、次に何する?」

そればっか。

 

 

 

自分のそういう思考パターンに気づいたとき、

ちょっとずつ変えていこうと思った。

 

 

自分をそのつど評価しよう!

そしてご褒美をあげよう!

 

 

バイト終わりに、意図的に

店長にたかって焼肉なり寿司なり連れて行ってもらう。

コンビニに寄って好きなものを買う。

 

それらを食す時に、

「あー自分頑張ったわ~」

「今日をこなした自分偉いわ~」

と思いながら、(←これが一番大事)

味を噛み締める。

 

 好きなVTuberさんのアーカイブや録画したテレビを、

好きなおやつだとか飲み物を片手に、

全力で癒されに行く。

 

このときも、

「最高のご褒美や~」

と思いながら(←まじで大事)

全て放り投げて、ご褒美のこと以外は考えない。

 

 

 

その日の自分を肯定的に評価して、

意識的に、報酬をちゃんと与えること。

 

 

まだそれをやり始めて間もないけれど、

少しだけ、自分の最大トルクが上がった気がしている。

 

 

 

 

「休むこと」と「だらけている」ことは違う。

 

「休んでいるはずなのに疲れが取れない」

「気持ちが晴れない、むしろ疲れる」

 

そういう人は、もしかしたら、

休んでいるつもりでいるだけかもしれない。

私みたいに。

 

私の場合は実際「だらけている」だけだったと思う。

ただただ、「疲れたから動かない」みたいな。

 

 

だから、考え込みがちな人、完璧主義的な人は

自分の思考パターンを分析してみるといいと思う。

否定的自動思考に少なからずなっているかもしれないから。

 

 

 

人生100年時代、

年を重ねるにつれて体は老いていく。

それに反して、仕事でもプライベートでも、

背負うもの、責任がどんどん重くなっていく。

 

だからこそ適度に休んで、

自分のバッテリーを常に100%に近い状態にしないと、

すぐバッテリーが劣化しちゃって、もたない体になってしまう。

 

 

 

これって当たり前のことかもしれないけれど、

私にとっては当たり前じゃなかった。

今そのことに気づくことができて良かったと、

心底思っている。

 

 

 

--------------------

 

 

人生はマラソン

 

どうせゴールは「死」なんだから

タイムを気にして死にそうになりながら走るんじゃなくて。

急ぐ必要なんて全くない。

周りの評価なんて関係ない。

自分自身が楽しめるかどうか。

 

山あり谷あり、その風景や空気を楽しんで。

 

並んで走る人、

私が背中を追いかける人、

私の背中を追いかける人。

 

一緒に肩を並べたり、

時には抜かし、時には抜かされて。

 

そういうのを全部を楽しみたいよね。

 

んで、すがすがしい笑顔で、

大空に向かってガッツポーズして白線を超えたい。

 

 

 

 

もしこの記事を読んでくれて

共感してくれる人がいてくれたのならば、

是非その手をとりたい。

 

 

 

一緒に人生、走りぬこう。

 

 

ほらばなし

 

 

今日はエイプリルフールですね。

Twitterとか見るとみんなアイコンとか名前変えてて

面白いなあと思っています。

 

私はやらないですが。

 

 

 

 

見え透いた嘘って親切心があっていいですよね。

 

けど逆に、

 

「嘘なんだろうけどもどこか本当のような嘘」

 

みたいなやつも好きです、個人的に。

 

 

 

 

 

せっかくなので、そんな小咄をここでひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『誰かを好きになるのが怖いひとのおはなし』

 

 

 

 

 

_______________________

 

 

 

 

誰かを好きになるのが怖い。

 

 

 

 

 

きっと全ての始まりは、中学生の時だろう。

 

 

 

 

 

それまでは、

誰かを”好き”になる感覚

がこれっぽちも分からなかった。

 

 

 

 

小学生の頃、

クラスでは恋愛の話でもちきりになる。

男子はすぐはやし立てるし、

女子はきゃーきゃー言っている。

 

 

 

 

いい人だとはおもうけど、え、なんで?

かっこいいかもだけど、うーん、…で??

かっこいいから好きになったの?

え、顔で?!?!

…顔、そうでもなくね???(←最低)

好きってなに??

え?チューしたいの??

なんでチューなの???

 

 

 

 

そしたらみんなに言われた。

 

 

 

 

「お前はおこちゃまだから、

まだ分からないんだよ」

 

 

 

 

当時は身長も前から二番目だし、

生理もまだだし、

クラスの誰よりもつるつるだしぺったんこだった。

だから自分でも、

「まだ子供だから分かんねえワ」

そう思っていた。

 

 

 

 

 

いつか分かると思っていた。

 

 

 

 

 

中学生になった。

 

私を好きでい続けてくれた人から、

二回目の告白をされた。

 

 

 

 

 

失礼だけど、

「フーン、物好きだね、ありがとう」

そんな感じ。

 

告白されたらその人のこと気になっちゃうとか

それで好きになったとか、

そーゆーのもあるらしいけども、

私にはそれは皆無だった。

 

それ以降も何度か色んな人から

告白してくれることがあったけど、

どこか他人事というか、

相手の気持ちを信じられなかった。

 

恋愛というカテゴリにおいて、

自分自身の気持ちに自信が持てていないから

きっとそう感じるんだろう。

 

 

 

 

特に、彼には悪いことをしたと思っている。

何をしたかは言えないけど。

 

 

幸せになってほしいな。

 

 

 

 

 

… 私は初恋を知らないまま。

 

 

 

 

 

そんな私だったが、その後、

異常に感心をもつ人が現れた。

 

それが、冒頭で述べた時の話。

 

 

 

 

相手は中学2年生で、私の1つ上の先輩だった。

 

 

 

 

 

 

そしてその人は、女の人だった。

 

 

 

 

 

同じ空間にいられるだけで幸せだった。

声が聞けたら幸せだった。

話しかけられたら昇天。

 

 

 

 

 

たまたま私が足を怪我した時。

その人が手当てをしたくれたのは、

これから先、一生忘れないと思う。

 

 

 

痛がる私の脚を優しく洗って、

慎重に石を取ってくれて、

消毒液をダバダバかけて、

綺麗に絆創膏を貼ってくれた。

 

 

恥ずかしすぎて泣きそうだったし、

ドキドキが止まらなかった。

 

 

 

その人がある時、

私の友人とプリクラを撮っていたことが分かった。

 

その友人のことを

当時あまりよく思っていなかった私は、

めちゃめちゃ嫉妬をした。

 

なんであいつが遊んで私が遊べないの??

的な(笑)

 

 

怒りに任せて仲のいい子に愚痴を飛ばしてたら、

気づいたら涙が溢れ出た。

 

 

 

先輩に直接言った。

「なんで○○とプリクラ行ったんですか」

 

 

先輩は困っていた。

けど本当に優しい人だから、

上手いこと言われた気がする。

 

あんまり覚えていない(笑)

 

 

 

 

 

 

そんな一連の流れを知る、

私の理解者の一人が言った言葉。

 

 

 

 

 

 

「もうそれ、レズじゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

多分だけど、ニュアンス的に

いい意味では無かった。

気持ち悪そうな感じ。

 

 

 

 

 

それを聞いた瞬間、

私自身も

「うえ、自分気持ちわる」

と思うようになる。

 

 

今でこそ、てえてえ、てえてえ言ってるけど、

当時は百合なんて概念すら希薄で、

ハマってる人はごく僅かだっただろう。

 

 

 

 

 

実際気持ち悪いし、重すぎ。

メンヘラすぎて怖い。私。

 

 

 

 

 

私は昔から性格が男気質というか、

サバサバしている方だった。

 

友人に嫉妬とか殆どしたこと無いと思う。

 

けれど、その先輩のこととなると別で。

その温度が激しすぎて、

少しサイコパスみを感じる()

 

 

 

 

 

そんな自分を脱却したいがために、

私はその先輩のことを忘れる努力をした。

 

 

 

 

 

 

そんな先輩に彼氏ができた。

 

 

 

 

 

私はというと。

「でしょうね」って感じ。

 

 

不思議と何も思わなかった。

幸せになってくれーって感じ。

 

 

 

 

 

その時気づいたこと。

 

 

 

 

 

私は別に、

先輩と付き合いたいわけじゃなかったこと。

キスしたいとかそういう欲求はなかったこと。

 

 

 

 

 

冷静にそう思った時、

自分の感情がなんなのか分からなくなった。

 

 

 

 

”LOVE”なのか”LIKE”なのか?

 

 

 

 

…きっと異常な”LIKE"なんだろう。

 

それで自分に納得してた。

レズだって自認したくなかったしね。

 

 

 

 

 

 

時同じくして、違うお話。

 

 

 

 

 

 

中学入って初めて友達になった人は、

ゴリゴリのオタクだった。二次元全般の。

 

 

 

 

 

 

その人があまりにも楽しそうに推しの話をしたり、

家に招いては漫画を読ませてくれたり、

おすすめのボカロ曲教えてくれたり、

そういうことばっかするもんだから、

 

私もボカロとか、

リボーンとかD灰とかにハマり始める。

 

 

ただ、学校ではオタクの地位が低く、

オタクであることが知られているひとは皆

あまり好かれてはいなかった。

 

 

 

特にカースト上位勢。

 

 

 

私は色んな人と交友関係をもっていたかったから、

オタク趣味はその人たちにバレないよう隠していた。

 

 

 

 

そして、隠していた理由がもうひとつある。

 

 

 

 

それは、私自身が

 

 

「オタクが苦手だった」

 

 

ということ。

 

 

 

 

 

 

二次元のキャラにそこまで感情移入して、

キャーキャー言って、

好きなシーンとかいろいろ、

早口で妄想とかを展開していく皆。

 

 

 

 

対して私は、

リボーンであれD灰であれ、

キャラクターにそこまで惹かれていなかった。

 

 

 

 

みんなかっこよかったけども、

みんなかわいかったけども。

 

 

 

 

どちらかというと私は

ストーリーが好きで、その作品を好きになって。

 

 

 

 

 

だからオタクの人とはあまり会話が弾まないし、

オタクじゃない人間がオタクを

 

「気持ち悪い」

 

と思う気持ちも分かる。

 

 

私自身が、オタクじゃない、

どちらかというとウェイなところに居たから。

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、

何かを好きでいることが

 

 

 

「気持ち悪いかどうか」

 

 

 

ばかりを気にしてしまうようになっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に、高校時代の話をしよう。

 

 

高校時代こそ、オタクがオタクだった。

 

クラスの男子は

半分以上が絵にかいたようなオタク。

 

メガネ、散髪屋カット、コミュ障。

 

話しかけても消極的だし、

勝手にビビられるし、

そのくせスマホ画面には

露出度の高い女の子のイラストが映る。

 

 

 

「変態でよくいそう」

 

 

 

 

酷いこと言ってることは自分でも分かってる、

でも、ほんとに率直な感想がそれだった。

 

 

 

 

 

女の子のオタクも絵にかいたような感じ。

 

 

 

彼女らも彼女らで、

私が話しかけるとどことなく嫌がるし、

他者を排除するムーヴがあって、

既にコミュニティが

こじんまりとであるが確立されていた。

 

 

 

 

 

基本そのオタクの方々はとても優しくて、

思いやりが人一倍強くて、

ほんとにいい人が多いと思う。

 

 

 

 

 

 

けれど、

勝手に他人を番付して、自分を卑下して、

自分より上だと思う人間を軽く小馬鹿にしたり、

と思ったら過度に持ち上げたり。

 

 

 

 

自分とフラットに接してくれないと思ったから、

じゃあいいやって、

私はますますオタクから距離を置いた。

 

 

 

 

 

 

言い方悪いけど、

自分の目に映る彼らと同じになるのは嫌だなと、

そう思ってしまった。

 

素直な感想。

 

 

 

ごめん、私、

そーゆー人間なんだわ。

 

 

 

 

 

 

 

そんな高校時代、私がめちゃ好きだったもの。

 

 

 

それは、『ラブライブ!』と

某アイドル。

 

 

ミューズは高3のときに終わってしまった。

(最近また再開したけど)

 

某アイドルも、早々に芸能活動を引退した。

 

 

某アイドルに関しては、

運営から推されていたし、

なによりまだそのアイドルグループは成長段階で、

今このタイミングで辞めるのは

普通にあり得なかった。

 

 

推されていなくて辞めてく人は多かったけども。

 

 

御三家として謳われていた彼女が辞めるのは、

マジで異質だった。

 

 

 

 

だから、ミューズが終わったとき、

某アイドルが引退した時、

 

 

 

めちゃめちゃ落ち込んだ。

 

 

 

 

 

リアルじゃない誰かを推すって

一方的過ぎてつらいと思った。

 

 

 

 

 

そのあと、

他の某アイドルのことも好きになった。

けどその子も、

運営から推され人気も高かったくせに、

 

 

早々に辞めていった。

 

 

 

きっと私の好きになる人の趣味が、

アウトローなかんじが多いからかもしれない(笑)

 

 

 

 

どんなに強い感情を抱いても、

どうにもならない場合がある。

 

 

 

 

二次元とか芸能人とかまさにそれだと痛感した。

 

 

やっぱ、

 

 

 

リアルで誰かを好きになるに越したことないよな!

 

 

 

 

本当に、長く幸せでありたいなら、そう思う。

 

 

 

 

高校時代、リアルでは、

とある友人に強い感情を抱いた。

 

 

 

 

 

けれど、

別にキスしたいとかそれ以上のことは

求めてなくて。

 

 

ただ話せれば、一緒にいられれば、

手をつないだりはぐしたり。

それだけで十分。

 

 

…けど、とある下校時。

 

 

 

 

その友人と2人で帰ってたら急に言われた。

 

「今日うちに誰もいないんだけど、来ない?」

 

あれは発狂しそうだった。

なんだかんだ言って

ムッツリエロガキだったのかもしれない。

 

 

勿論ヘタレなので、諸々理由つけて断った。

 

何してんだろ、馬鹿だよね、私。

 

 

 

 

 

 

でもそれって、恋愛感情と呼べるのか????

友達として好きなだけなんじゃないか???

 

 

 

 

 

 

因みにその子も女の子。

 

 

 

 

内心、

「あー私、やっぱレズなんや」

そう思った。

キモいと思った。

 

 

 

 

けど私は、

私はその子に少しでも好意的に見られたくて、

見た目を磨く努力をしようと志す。

 

 

 

ワンチャン告白しようと考えていたから、

もし振られてもその人の黒歴史にならないように、

 

「美女に告られたことあるんですよー」

 

って自慢できるようになろうって、

ちょっと頑張った。

 

 

 

 

 

結局、自分の感情が本当に

「恋愛対象としての好き」

なのか分からなくて。

 

 

それに、同性にガチとか、

やっぱ気持ち悪いって思っちゃうし。

 

 

迷いがあったから、

告白はしないで終わった。

 

 

 

 

 

 

 

でもその人が一番、

私が今まで生きてきて執着した人だと思う。

現時点では。

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、

そんなこんなで大学生。

 

 

 

 

 

 

またまた、

普通の友達とは違う、

強い感情を抱くような相手が現れた。

 

それも2人。

しかも男性。

 

 

 

 

両方既婚者だった。

 

 

 

 

 

やっと、異性に対して

そう思えたのに。

 

レズじゃない!!!!

やったー!!!!

 

そう思ったらこれだよ。

 

 

 

 

しかも、ひとりに関しては

はじめて

 

「この人になら襲われてもいいや」

 

そう思った。

 

 

ほんとキモいけど、

その人のワキガの臭いも良い匂いに感じた。

 

 

 

その人だけ。

 

 

 

 

 

 

こんなかんじで、リアルで

自分が好きになっても良いことが無い。

 

まあ努力したら幸せルートもあったんだろうけど。

 

 

 

 

 

そもそも自分の好きだと思ってる感情が、

本当に

 

「好き」

 

という言葉で形容して良いのか、自信がない。

 

 

 

 

 

 

 

だから、人を好きになるのが怖いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、何かを好きになることにどうしても

「気持ち悪さ」

を感じてしまう。

 

 

中学時代のメンヘラな自分とか、

周りにいた、オタク特有の雰囲気とか。

 

 

 

 

 

 

だから私は推しを公言できない。

好きだけど、そこのコミュニティには属せない。

 

 

 

 

 

好きな気持ちに自信がない。

好きな自分が好きじゃない。

 

 

 

 

 

 

いつか、

理性なんか吹っ飛ばして、何かに夢中になれたら。

誰かに夢中になれたら。

 

 

 

 

これが私の、

本当のような、嘘の話。

 

 

 

 

 

怠け者流 コツコツ頑張る方法

 

どうも。

 

 

 

現在。

ESをギリギリになって出す。

ギリギリにやるから締め切りを過ぎる。

 

高校時代。

英単語や古文の活用形、よく小テストがあった。

隙間時間に地道に暗記しないと答えられない。

追試を避けたい私は机の下で魔法のタブレットを操る。

 

 

そう、コツコツ何かを頑張れた試しがない私。

 

 

 

 

強いて言えば何をコツコツ頑張っただろう?

それは部活動。それはテニス。

 

何故頑張れたか。

テニスが好きだったから?

 

うーーーん、人並みに好き。

 

「好き」という不安定な炎のようなものでは、

長期間頑張るには難しい。私には。

 

 

 

好き以外の理由、それは。

 

 

「誰かに見られていたから」

 

私はそう思っている。

 

 

 

家族や友達、先生に応援されることだってそう。

練習や試合を共にするなかで、

私の姿勢や行いを、

そんなに意識はされてはいないだろうが、

必ず誰かの視界には入っている。

 

 

「人に見られているからこそ、

かっこ悪いこと出来ないな」

 

 

そんなちっぽけなプライドこそが、私を頑張らせたのだと思う。

 

 

 

誰にも見られてないから、ついつい怠けてしまう。

でも授業中とかテスト中は頑張れる。

塾でなら頑張れる。

ここぞという時にはガッと集中できる。

 

 

 

そんな私みたいな人間は結構多いと思う。

「めっちゃ分かる、私もそれだわ」

そう思った人こそこの記事を読んで欲しい。

 

 

一緒に頑張ろうじゃないか。

 

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【怠け者による】

【怠け者のための】

【集中力を無理矢理上げる方法】

 

①ベランダでやる

②カフェ開拓

 

至ってシンプル。

 

 

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①ベランダでやる

 

私は春から夏にかけて、よくベランダで作業をしていた。

空気がおいしいし、

日の光が心地よいし、

目の前の公園で遊ぶ子供たちが微笑ましいし、

なによりタバコを吸いながらできる。

 

お金がない、そして外に出ることがおっくうな時は

私はベランダの室外機の上に座って、

コーヒーを傍らに置いて2,3時間作業をしていた。

 

それが、はかどるのなんの。

外で作業することによって、人に見られているような感覚になる。

そしてベランダに何もない分、作業の邪魔となる娯楽物に手を伸ばすことがない。

 

今すぐにできるからおすすめ!

 

 

 

 

 

 

②カフェ開拓

 

冬になり、寒くてベランダに出られなくなった。

かといって図書館にはいきたくない。

基本飲食禁止だし、人に見られている感覚が薄くなる。

そして、静かすぎて自分の動作音に敏感になってしまう。

 

 

そんな時に出会ったのがカフェ。

スタバとかおしゃれなとこじゃなくて、

おじさんおばさんに愛されているような、

こじんまりしていて昭和臭漂う落ち着いたところ。

何時間いても支障がなさそうなところ。

 

家の近くやバイト先近く、学校近くとか、

自分の活動拠点付近にそんなところがないか探す。

 

見つかったら、それぞれに向かう際に

ちょっと早めに家を出てそこで作業したり、

逆にその帰りにそこで作業したり。

 

時間を有効的に使える。

 

私が最近よく行くカフェは、

実際そんなところで、若い人なんて全然いない。

そして700円あればドリンクとフードを頼めちゃう。

タバコも吸える!

おまけにソファーがしっかりしている。

 

 

最高。

 

 

 

 

こんな感じで、

なかなか頑張るスイッチが入らない人は

「ここだったら自然と頑張れそうだな」

と思える環境に身を移してみるといいと思う。

パブロフの犬みたいに、

勝手にその気になっちゃう空間に。

 

 

そんな居場所をなるたけたくさん、

早いうちに見つけておくと

きっと今より生きやすくなると信じている。

 

怠惰マンを卒業するんだ!!

 

 

 

他にもおすすめの方法とか、

いいカフェとかあったらぜひ教えてほしい。

 

 

 

 

よし。

 

今日もがんばろう。

 

明日もがんばろう。

 

みんなでがんばろう。

幸せを追いかける

いつもとなんら変わらない、

バイト中のことだった。

 

去年の売上が非常にまずかったこともあり、

私は専務とどうすればお店が盛り上がるのか、

そんな感じのことをなんちゃらかんちゃら話していた。

 

話がどんどん発展していく。

私は突然、専務にスマホの画面を見せられた。

 

「みのりちゃん、これ行ってみなよ」

 

 

『目標達成と

大事な人との人間関係を

もっと良くするために

必要なバイタリティの秘密』

 

 

ほう?

 

直感的に、面白そうだと思った。

 

「いつですか?それ」

「明日」

「明日?!」

「ぜひ行ってきてよ」

「はい、じゃあ行きます」

「じゃあ主催者に連絡しとくわ!」

 

…連絡までされちゃあ、行くしかない。

 

 

今回はそのおはなし。

 

 

-----------------------

 

行って早々、私は後悔し始める。

 

想像以上にアットホームで皆知り合い同士、

そして大の大人ばかり。

 

工業高校に入学したら、クラスに女子が私一人だけ。

…そんなことなったことないけど、そんな気分になった。

 

専務が一言連絡を入れてくれていたから主催者の方や関係者に声をかけてもらえたが、

もしそれが無かったら私は死んでいただろう。

 

皆、優しくて本当に助かった。

 

 

 

 

さて、本題。

 

最初は周りの人と4,5人グループを作って、

以下のことを絡め自己紹介をした。

 

 

なんでここにきたのか?目的は何か?

私にとってのバイタリティとは何か?

 

 

 

皆さんとても意気揚々と話す。

私はふと、起業スクールに通ってた時の頃を思い出した。

みんな前向きに物事を考えていて、

なにかを掴みに行こうとしていて、

 …いいねえ!めらめらしてきたワ!!

 

 

neverflatterothers.hatenablog.com

 

 

私の番が回ってきた。

バイタリティというものが何なのか

いまいちそれが分からなかった私はぶっこむ。

 

 

 

「バイタリティって何ですか?」

 

「…」

 

 

 

みんな黙った。

失礼だが面白かった。

ひとりが電子辞書で調べて下さり、

それで事は解決する。

 

 

私が来た目的は、

就活と、これから社会に出る上で役立つと思ったから。

私のバイタリティは就活への焦り。

まったくもって、後ろ向きである。

 

 

 

 

そのあと、

JPSA協会で1番偉い方の映像が5分間ほど流された。

また、プロスピーカーに認定された方の話や

西東京支部の方のJSPA協会での学びの実践における経過報告を聞いた。

 

 

 

JSPA協会が教えていること、それは

 

・目標を達成する技術

・人間関係を良好にする技術

 

 

 

 

その何故その両方が必要なのか。

 

それは、目的があるから。

 

 

 

 

何故目的があるのか。

 

それは、幸せになりたいから。

 

 

 

そゆこと。

 

 

 

 

選択理論を用いた幸せになる術を、

JSPA協会はご教授して下さるらしい。

 

 

 

ここの参加者は、

 

「目標を達成すること」

「人間関係が良好になるということ」

 

その意味を理解し、そしてその技術を学ぶ。

知って、分かって、行う。出来るようになる。

そうして両方手に入れる。

手に入れたものを、知らない他の誰かに伝える。

 

その先にみえるもの、それは

 

「いじめや差別などを無くし、みんなが幸せになること」

 

―だそうだ。

おもしろそ。

 

 

 

 

ちょっとだけそれをかじった私。

私なりの解釈をもりもりに盛りつつ、

 そこで知ったことを乱文ながら書いてみる。

 

 

 

まず前提として、現実は誰がつくっているものか?

 

 

それは間違いなく自分自身。

他人がつくったものではない。

 

何が真実で、何が事実で、何が現実なのか。

微妙に違うその3つを見分けつつ、

 

「思い込み」こそが現実をつくるということを

私達は心にとどめておくと良い。

 

「私は出来る!」と信じ続けることこそが

現実を良いものする。

 

携帯電話からボタンを一切無くしたスティーブ・ジョブズだって、

最初は無茶だと思われていた。

けれど今となっては、当たり前のようにそれを

大抵の大人は持っている。

 

「出来ない」のは真実ではない。

「今、出来ていない」という事実であり、

「今、それが出来ない自分」という現実にすぎない。

 

 

 

現実は自分でつくるもの。

どうせ作るなら、幸せな現実をつくりたい。

 

 

 

 

じゃあどうつくる。

 

それは以下の通り。

 

 

 

 

①目的を明確にする

②目的に基づいた目標設定をする

③行動計画を立てる

④小さな成功体験を積む

⑤大きな自信を育む

⑥大きな挑戦が出来る

 

とことん深く逆算をしていくべし。

 

 

 

 

それぞれについて詳しく。

 

 

 

①目的を明確にする

 

これが、自分の一番の芯。

私にとっては生きる意味。

これが無かったらもったいない。

せっかく生かされているのに。

 

 

 

 

②目的に基づいた目標設定をする

 

個人的にこれが一番大事だと思う。

 

あなたの目標は誰によってつくられていますか?

自分自身の目標を歩んでいますか?

誰かの犠牲になっていませんか?

 

目標は、人と人とが出会うことでできるらしい。

人と人とが出会うことで、

必然的に何かと向き合うことになるらしい。

それは、いい意味でも、悪い意味でも。

そして、いい意味にするのは自分自身。

 

目的・目標がない人は、

とりあえす色んな人に会いに行ってみるといいと思う。

 

このように

自分自身の目標が立てられていないといった、

「良い目標設定ができない人」には

3つの特徴がある。

 

⓵気づきの機会の不足

⓶知識・情報の不足

⓷失敗へのおそれ

 

⓵について。

どんなに周りが説得しても、

本人が物事の重要性を気づかない限り

なにも動かない。

 

⓶について。

物事への重要性に気づいても、

何をしてよいか分からない。

 

⓷について。

これが厄介。

傷つきたくない、疲れたくない、

そういった思いから「裏目標」をつくってしまう。

 

 

 

 

 

 

③行動計画を立てる

 

これは、

目標達成に焦点を合わせる能力

最優先の仕事に集中できる能力

が必要となる。

 

そして、毎日それを見直すこと。

 

「今日は何のために生きているのか?」

 

毎日自分に問いかけることで、

モチベーションを保つこと

目的・目標からブレないことへとつながる。

 

 

 

 

 

 

最後はまとめて。

 

④小さな成功体験を積む

⑤大きな自信を育む

⑥大きな挑戦が出来る

 

目標に向かい行動することで、

その日々の中で小さな成功体験が生まれる。

そんな日々の繰り返し。

それにより、

自分に自信が生まれる。

自信が持てたことで、

 「わたしはできる」

という前提が生まれる。

この思い込みが、

大きな挑戦への原動力となり、

結果、現実を決定する。

 

 

 

 

 

 

この一連で大切なのは、

 

自分自身がどれだけ「誠実」に

目的・目標に向かって生きるか?

 

ということ。

 

例えば、負の出来事に対面した時

 

出来なかった…と思うこと。

これは誠実ではない。

 

日々改善する…これこそが誠実というもの。

 

自分のステータスや能力、周りの環境を言い訳にするのではなく、

 

「失敗した、”だからこそ”成功するんだ」

 

と、どんなに自分に都合の悪い出来事でも、

全てにおいて意味付けすること。

 

今回のこの会では、

「バイタリティ」についてあまり言及されなかった。

 

だけど、この「誠実な姿勢」を保つためにこそ、

冒頭で触れた「バイタリティ」が

支えになるのではないかと個人的に思う。

 

 

 

 

因みに、

あなたのバイタリティってなんですか?

 

 

…今思い返すと、

バイタリティ溢れる人に会ったことってあまりないなあ。

 

会いたいなあ。

会いにいくか。(どこへ)

 

そして、私もそうなりたい。

 

よし、なるゾ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソーシャルワークってなんだ

先生なら、

私が分からないことは教えてほしい。

けど先生も人間だし、

分からないこともあるみたいなんだわ。

 

何でも質問して良くて、

疑問を持つだけで

よしよしされていたあの頃とは違い、

今となっては

 

「今まで勉強してこなかったのか」

「自分で調べろ」

 

と批判される。

自分に都合が悪くなると尚更そうなる。

 

 

厳しいなあ。

まだ学生なのになあ。

世知辛いなあ。

 

 

調べても分からないから聞いているのに。

 

 

 

言い方がキツイかもしれないけど、

大人だからって、専門家だからって、

簡単に目上の人を当てにするのは辞めよう。

 

人を魅て、

こうありたいとと思える人についていこう。

 

 

そうでなくとも、

自分で答えを見つけにいかなきゃいけない

そんな時期に差し掛かってきてんだなあと、

 少し寂しい気持ちになった。

 

 

そういう意味では大人になりたくない。

 

分からないことを恥じて隠すことこそ、

みっともないんじゃないだろうか。

 

だから私は大人になっても、

分からないことは胸を張って

「分かりません」

と言おう。

 

---------------------

 

何者にもなりたくない。

けど、何者でもありたい。

だから、どこにも属したくない。

但し、誰とでも関わっていたい。

 

そして、誰かの役に立ちたい。

窓口でただ人が来るのを待っているのは嫌だ。

自分からどんどん土足で踏み込んでいきたい。

 

ずっとそう思っていた。

そして高校生の時、

ソーシャルワーカー」 

という仕事を知った。

 

私はソーシャルワーカーになりたくて、

現在、某アホ大学の福祉学部にいる。

 

 

 

 

福祉関連の仕事をしている人、

福祉関連の研究をしている人、

福祉関連の勉強をしている人に聞きたい。

 

 

 

ソーシャルワークってなんだ」

 

 

 

私は福祉の勉強をしている。

そこでは散々ソーシャルワークという言葉を耳にする。

先生方や学生は、

当たり前のようにその言葉を発し、

当たり前のようにその言葉に頷く。

 

 

恥ずかしながら、私には分からない。

分かったつもりになっていたが、

どうも府に落ちていない。

 

誰か、馬鹿にも分かるように

教えてくれないでしょうか。

 

 

皆さんは何をソーシャルワークとして掲げ、

その先に何を見ているんですか?

 

 

 

 

そこで、

専門書による説明を見てみることにしよう。

あえて全文引用した。

そしたらめちゃくちゃ長くなった。

 

覚悟しておいてほしい。

 

 

 

ソーシャルワーク(social work)】

“ 社会福祉の実践体系であり、社会福祉制度において展開される専門的活動の総体。過去には社会事業と訳されたこともあったが、現在ではそのまま使われ、社会福祉における方法の体系として用いられる。19世紀後半、主としてアメリカにおける慈善活動や社会改良運動にソーシャルワークの萌芽を見出すことができる。ケースワーク、グループワーク、コミュニティワーク(コミュニティオーガニゼーション)をソーシャルワークの主な3つの方法としてきたが、ソーシャルワーク統合化以降、これらの方法を分析して用いることは少なくなってきている。3方法の他には、ソーシャルワーク・リサーチ、ソーシャル・アドミニストレーション、ソーシャルアクションなどが含まれる。バートレット(Bartlett,H.M.)が中心となって1958年に作成された「ソーシャルワーク実践の共通基盤」によれば、ソーシャルワークの方法は、「①社会環境と関連づけながら、個人の側に、②個人にもたらす結果と関連づけながら、環境の側に、③相互作用している個人と社会環境に変化を促進させようとする」とされている。その後、システム理論や生態学の導入によって、ソーシャルワークの対象把握や焦点づけの枠組みである「状況の中の人」の考え方は、さらに高度な概念化をもたらした。1990年代に入ってから、理論的成熟をみたジェネラリスト・ソーシャルワークにおいては、クライエントシステムの大きさに関わらず統一した視座が確立され、専門的介入の概念やアセスメントとエバリュエーション(評価)の強調を特徴とする。また実践の場に応じて、医療ソーシャルワーク、精神科ソーシャルワーク、産業ソーシャルワーク、司法ソーシャルワーク、施設ソーシャルワークといった分類もされている。わが国において、保健・医療・福祉の連携が強調されるなかで、社会福祉制度を充実させることとともにソーシャルワークの固有性の確立に向けた理論家が急務の課題となっている。 [岩間伸之] ”

 

山縣文治/柏女霊峰『社会福祉用語辞典[第9版]』 ミネルヴァ書房 2016年 より

 

 

 

…難しいね。

社会環境を鶏として、個人を卵として、

それぞれがそれぞれを生み成していて、

だからこそ両方に働きかけるべきで。

その方法をソーシャルワークと呼ぶのかね。

でも他にも色々あるみたいだね。

 

ただ、読めば読むほど

概念が広すぎるというか

まとまりが見えないというか

しっかりした定義が明記されてないと

そう思うのは私だけ??

 

ソーシャルって言うもんだから、てっきり

「社会」における活動だと思っていたけど

ケースワーク(個別援助技術)

ソーシャルワークに入るみたいだし、

 

個別援助するには

その人の周りの社会環境も

視野に入れなきゃ出来ないよね!

つまりソーシャルなワークだよね!

 

ってことなのかな??

 

 

 

結局のところ社会福祉における専門的活動は

ぜんぶソーシャルワークっていうみたいだね。

 

 

 

 

「やばい」って日本語並みに便利だね。

 

 

 

やば。

 

 

 

 

 

 

もう少し分かりやすいやつ。

 

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000150799.pdf

 

はあ!

分かりやすい!

さすが厚労省様!!!

 

ソーシャルワークのイメージが

頭に浮かんできましたわ。

 

具体的にどういう活動を指すのか、

ちゃんと明記されてて本当にありがたい。

 

 

定義については、

国際ソーシャルワーク学校連盟/国際ソーシャルワーカー連盟と

日本学術会議社会福祉社会保障研究連絡委員会では、

意外と内容が違うみたいだね。

 

 

後者の方が「個」「福祉」「援助」色が強い

という解釈を私はしたけど、

みんなはどう思いますか。

 

 

 

 

因みに私は圧倒的に前者が好き。

そもそもソーシャルワークとはこのことを言うのだと勝手に思っていた。

 

「社会変革と社会開発」「社会的結束」

「人々のエンパワメント・解放の促進」

「実践知」「学問」

 

私のやりたいことと考え方が詰まっている。

 

個々の強みを引き出したいし、

縛られている人は解放したい。

 

そのために、

社会変革と社会開発をしたい。

 

0から1を生みたい。

レールの上を走るのは簡単である。

だから私はそこで敢えて新たなレールを敷きたい。

 

そうして、みんながみんな結束できたら、

そんな綺麗な世の中になってほしいと思う。

 

あと、ただ本を読み統計し分析し

調査や取材をちょこちょこやるような

血も涙もない頭でっかちな知識人にはなりたくない。

実践に基づいた知識人になりたい。

 

 

それに、

私は働きながら常に何かを学んでいきたい。

学ぶことが果てしなくある分野で仕事がしたい。

 

最&高。

 

 

 

 

 

…とまあ、

そんな考え方が先行していた私は

ソーシャルワーク実習」

という名の福祉事務所での実習で

ソーシャルワークの概念がぐちゃぐゃになって

それを文章化できず

教授に怒られた。

散々色々言われたが、

どうも意味が分からなかった。

 

 

 

 

 

だから私は、

ソーシャルワークの理解を深める旅に出た。

 

 

とある社会福祉法人インターンに行ったときのこと。

 

何でそこのインターンに行こうかと思ったというと、

ケアワークソーシャルワークの融合を目指しているから。

 

その法人の掲げるソーシャルワークとは何か、

そしてどうケアワークと融合するのか、

非常に興味を持った。

 

私がやってみたいと思っている、

 

「〇〇✖️福祉」

 

を実際にやっているところだった。

 

 

特別養護老人ホームで私の担当になった方に、

なんでここに入ったのか、

そして将来設計を聞いてみた。

 

その方は分野にこだわりがないらしく、

広く福祉活動をしたいらしかった。

 

「現場を知らないで、ソーシャルワークはできない。だから私は今ここ(特浴)にいる」

 

素敵な考え方だと思った。

 

ただ、その方は辛そうな顔をしていた。

そりゃそうだろう、

女手一つで大の大人のお風呂介助を何回もするなんて。

今ある仕事をこなすことに精一杯のようだった。

 

ケアワークをする立場の人間が、

ソーシャルワークを両立させることに

現状として限界があると私は感じた。

 

そこの特養は開放的で、

地域とのつながりを意識していて

昼食交流やその他交流の場を設けていた。

これもソーシャルワークとしての活動の一環だという。

 

頑張っているなあと、いいなあと思った。

絶対に意味がある活動だと思う。

ただ、これにも伸び代があるかどうか、疑問に感じた。

 

 

地域にいかに根付くか。

地域にどう役割を果たすか。

地域住民からいかに協賛してもらうか。

 

 

…難しい問題だと思う。

 

 

 

 

 

 

そして人事の人に、

ソーシャルワークとはなんぞや?

と聞いてみた。

 

そしたら。

 

「難しいテーマだね」

 

と。

 

概念が広すぎて、ちゃんと定まっていない。

ただ、考え方は何個かあるよね。

例えば…。

 

みたいな。

 

ちゃんと言われなかったから分からなかったけど、

その特養で行なっているソーシャルワークなるものは

日本学術会議社会福祉社会保障研究連絡委員会の方の定義よりなのかなと思った。

 

 

 

 

 

 

そしてその後、教授にリベンジした。

ソーシャルワーク論争がここではじまる。

 

 

…いや、ほんとはそんなつもりじゃなかった。

 

 

ただ純粋に、他己分析をお願いしただけ。

そしたらイラっとすること言われた。

 

「短所は俯瞰でモノを見れないところ」

 

…どのような場面でそう思いましたか。

 

「自分の思いに引っ張られすぎて、

三者に見せる実習報告書で求められていることが見えていない」

 

…求められていた内容が今でも分かりません。

 

「自分の視点から一回離れて、第三者の視点で見る力 実習報告書であれば、Swのための実習として何を学んだかを読み手にどう伝えるか 内容の問題です」

 

とのこと。

 

きっと、報告書の課題点で正直に改善するべき内容を書いてしまったことがそう見えてしまったのだろう。

あの時が1番怒られた。

 

ソーシャルワーク実習の意味が分かんなかった私。

自分の思いに引っ張られていた自覚がない私。

 

 

だから聞いた。

ソーシャルワークってなんですかと。

 

 

メールでのやり取りだった。

 

教授は、

私が論破されそうになったから屁理屈を言い始めたと思ったのか、

「質問の趣旨がズレている」「教科書読め」

と一蹴した。

 

私は「ハイすみません自分で勉強します」

と開き直った。

 

 

そしたら何を感じたか知らないが

電話をすることになり。

 

 

そして、マシンガントークであっさり論破された。

 

 

 

ソーシャルワークには2つの視点がある。

<社会化としての視点><個別化としての視点>」

 

 

「(それ、結局視点の話やん)

…じゃあその視点に基づいたアプローチを、ソーシャルワークというんです、か…?」

 

「そういうことです」

 

 

だそうですよ、みなさん。

覚えといて損はないですヨーーーー。

 

 

 

ただ、

教授の言う第三者目線というのが

「実習生として何を学んだのか」

というものらしく。

 

そして、

社会福祉士として何を持つべきか?

(倫理観とか知識とか技術)

という考え方に基づいた報告をして欲しかったらしく。

 

私の福祉事務所の批判が

(嫌いだからした訳じゃない、むしろ好きだから)

私の主観に見えたらしく。

 

 

教授の言ってる第三者目線って、

それこそ主観やん。

主観的報告やん。

自分に関係がないことにおける批判的意見こそ

三者としての見方とか

俯瞰的に見ることで見出せることじゃん。

 

 

そう思ったけど、言わないで我慢した。

 

 

これ以上揉めて印象を下げるのは得策ではない。

それにバイトの出勤時間が差し迫っていたから、

その前に胸糞悪い思いをしたくないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

…少し話が脱線してしまった。

 

まあこんなこともあって、私が総じて思ったこと。

 

 

私のやりたいソーシャルワークは、

福祉の現場では出来ない。

 

 

実習に行くまでは福祉に意気込んでいた。

けれど、

ヒビの入った器を修繕して、

滴る水をすくって、

そんな毎日の繰り返し。

いたちごっこに近いモノを感じた。

 

根本的解決をしたいなら、

もっとその先からどうにか

トゥルーエンドルートを設けるべきで。

 

福祉の現場でそれを設けるより、

福祉とは一見関係のない現場でそれを設けること

そんな現場が増えること

それこそが

福祉の現場がどれだけ頑張るよりも夢があって

日本の福祉を盛り上げることに繋がる

 

私はそう考えた。

 

 

だから私は、この考えがどうなのか、

実践することで試したい。

 

 

 

 

 

福祉組織に属せずとも

ソーシャルアクションは幾らでもできる。

 

そう信じて。

 

リーダーになろうとしてた

就活に向けてまじでがんばらなきゃいけなくて

もう先延ばしにしたり逃げたりとか

そんなことしてらんなくなってきたこの頃

 

友達と会うたびに就活とか将来のこと

そればっかしか話してないこの頃

 

体調を崩して何もしないで1日が終わる

何かやろうと思って結局何もできず1日が終わる

 

そういう日にめちゃくちゃ自己嫌悪する

 

人より遅れをとってしまった

みんなは頑張ってるのに私は何をしているんだ

 

そうして自信とモチベが落ちて

エンジンがかかりにくくなり

トルクも下りに下がる

 

まさに負のループ

 

 

 

 

けど、バイトをした日は全く違う

時間を無駄にしなかったという達成感

明日も頑張れそうだと思う

 

 

実際はどうだろう?

 

 

お金を稼いだだけ

そして体力を消耗した

ランナーズハイというものなのか

 

まあ厳密にはちょっとずつ、ちょっとずつ、

色んなスキルを磨いている

トーク力とか洞察力とかいろいろさ

人脈も広がる

 

 

それでも

 

就活において前進はしていないじゃないか

今極めるのはそこじゃない

 

 

冷静にそう思った時

何もしていない1日

バイトをしていた1日

更には

合説とかインターンとか行った1日

 

どれもただの1日で

 

そこに一喜一憂しているのは勿体ない

 

どんな1日でも何かしら得たものがあって

 

私が自己嫌悪するような日だって

よくよく考えれば自分を見返すいい機会だし

肉体的に疲れてない分

明日の稼働力は大きい

 

 

毎日毎日

ほんの小さな失ったナニカよりも

ほんの小さな得たナニカを意識しよう

そして明日を見よう

 

そうしていくうちに失うものも減っていって

得るものがどんどん増えていくんだ

 

 

そう思うようにしよう

 

 

 

 

 

前フリが長くなったワ笑

 

 

 

今回はバイトを特に頑張ってたちょっと昔の話

 

自分の接客スキルをひたすらあげようとした1年間

 

けどそれじゃダメなんだ

組織としての質を上げよう

 

そう思って熱心にバイトにファイトしてたこの1年間の輝かしい自分の話を整理しよう

 

 

 

-----------------------

 

今から1年前

前の焼肉屋から異動して1年経つか経たないかの頃

バイト先の店長が変わった

 

とてもおおらかで優しい人

感情の起伏がなく大人な人

ガキの意見にもちゃんと耳を傾けてくれる人

 

でもリーダーっぽいタイプでは無かった

 

そしてバイトリーダーも

そんなにリーダー気質ではなく、

自分を突き詰めたり

後輩に指導したりするような感じではなかった

 

同じようなタイミングで、

3人の新人がドカっと入ってきた

 

 

そうしたらどうなったか

 

お店の雰囲気は柔らかくなった

だって怒る人がいないから

だれもバイトの動きを監視していない

 

けれど裏を返せば緩くなった

 

作業をこなすだけ

こなす作業量も減った

こなせる作業が増えない

 

半年バイトやっていようが

電話対応が下手な人は下手なまま

客案内が下手な人は下手なまま

常連さんを一向に覚えない

独りよがりの作業で周りが見えてない

つまり連携が取れない

代行も呼べない

満卓の時新規に姉妹店を紹介できない

姉妹店に予約の電話ができない

新人に教えられない

教える内容が浅い

 

そう、現状維持という名の下向

 

売上が面白いくらいに下がった

 

 

 

店長は落ち込んでいた

私はムカついていた

 

 

 

店を閉め飲みにいった時、店長に言われた

 

「歴的には〇〇君がバイトリーダーだけど、

俺はop5ちゃんがバイトリーダーだと思ってる。

だからop5ちゃんがみんなを引っ張っていってほしい」

 

現に店長は、知り合いに私を紹介してくれる度に

「うちのエースです」

「うちのバイトリーダーなんですよ」

そう言ってくれていた

 

 

「店長が本気なら、私も本気でついていきますよ」

 

こうして私と店長はタッグを組んだ

 

 

純粋に店長が好きだったし、

組織で頑張らない人がいることが許せないタイプだった超体育会系の当時の私は、

この温室栽培された野菜達をどうにかせねばと躍起になった

 

 

 

さて、実際に何をしたかについて

 

・私がホールのロールモデルになる

・トップとしての人格づくり

・店の分析/バイトの分析

・指導

・みんなと仲良く

 

特別なことは一切していない

当たり前のこと

けれど、当たり前のことを当たり前にやるって意外と難しい

特に自分自身以外に働きかけたい場合はそう

 

 

・ホールのロールモデル

 

見本になる人がいないと大抵人は成長できない

学ぶことは真似ること

 

「私だって誰かを目標に頑張りたかったワ」

「そんな人居なかったけど努力したワ」

「お前らもそうしろや」

…そう思ったし言いたかったけど

自分は自分

他人は他人

 

しょうがないから、

人に尊敬されるよう

恥じないよう

誰よりもホールの仕事のどの分野においても

秀でるように心がける

 

客案内からお見送りまで

スムーズに、手厚く

バッシングやドリンクをつくるとき、皿をあらうとき

如何に早く効率的に済ませるか

そしてお客さんに話しかけてもらえるように

笑顔で余裕をもって、物腰柔らかに

 

 とにかく口先だけじゃない、肩書だけじゃない、

実力を兼ね備えた人間になるようにした

 

 

 

・トップの人格へ

 

私はキレやすい

バイト中、自分にできて他人ができていないことを見つけるとイラつく

それが何回も重なるとイライラする

そしてお客さんに迷惑がかかるとキレる

 

社員やバイトにあからさまに態度に出す

皆に嫌な思いさせたり反感を買わせることを承知の上で遠慮なくやる

 

ただ、お客さんには一切それを見せないようにする

むしろそういう時こそ誰よりも笑顔で神接客をする

そして自分の仕事は勿論、他のバイトの仕事もぶん取って

自分なりに完璧のレベルで遂行する

 

そうすることで、

私がどんなに横暴な態度をとっても

「絶対お前らに私の文句を言わせねえかんな」

「言えるもんなら言ってみろ、論破してやる」

…そう構えていた

 

 

実際そうしたらどうなったか

 

みんなビクつく

ホールの雰囲気が沈む

けど、行動がテキパキする

 

そうしないとみんなが本気出さないからしょうがないじゃないか

私だっていちいち他人に自分の感情を左右されたくないわ

お客さんファーストでいくならそうするべきだ

 

そう思っていたら、店長に言われる

 

「あんまキレないでほしい」

 

「…」

 

 

私がキレるとみんなが仕事をやりづらくなるから

キレる以外の方法を見つけてほしい

とのこと

 

…キレるまで、私は仕事がやりづらいのですが

キレたら、私は仕事がやりやすくなるのですが

 

そう思ったけど、

確かにそんな安直な恐怖政治で大勢をを制するのは嫌だ

恐怖政治の辛さはバイトメンバーの中で私が一番わかっていると自負している

だって2年前、あからさまなパワハラに本気で病んだから

 

 

neverflatterothers.hatenablog.com

 

 

それに、人の上に立つ人間の思考としてそれは良くない

私の道徳心がそう言っていた

 

 

だから私は、アメとムチ戦法をとる

そして女の子には極力厳しくせず優しくした

 

仕事中はキレずとも、厳しい雰囲気を醸し出す

テキパキやる

怒らずとも、指示的なコミュニケーションを多く取る

熱は込めずとも、厳しい内容のアドバイスをする

 

そしてお客さんが引いて落ち着いたときとか

みんなが退勤するとき

笑顔で

「今日大変だったでしょ、おつかれさま」

「おつかれ!気をつけて帰ってね!」

なーんて言う

 

ほんとにこんなんでイケてんの?って思っていたけど

ひとりには

「最後の一言が良ければ全然気持ちいいよ」

ひとりには

「op5さんに褒められるのが、だれよりも嬉しいです」

と言ってもらえた

 

…ほんとうにみんなチョロい

みんなお優しい、とても純ないい子、めっちゃかわいい

 

そしてもう一つ、

女の子に優しくするのには理由がある

 

女の子は比較的男の子より

人に怒られる経験や真正面からぶつかる経験が少ないと思っている

だからそういう耐性がない

 

つまり私がキレるとまじでめげる

男の子にキレただけで、その様子を見ただけで他人なのにめげる

 

ゆで卵は地面に落としてもいいやって思えるけど、

さすがに生卵は丁重に扱わなければならない

 

そして何より

私は女の子の涙とか、弱っている姿にはいつまで経っても慣れない

 

そういった事態は避けたい

 

 

まあそんな感じで、バイトリーダーとしての人格者?的な

そういうのを装った

 

 

 

・店の分析/バイトの分析

 

とにかく課題を洗い出すために、

バイト中に人間観察を怠らなかった

自分が客だったらどうだろう?

常にそれを考えながら場面場面の整理をする

 

そして、店を閉めたら店長と飲みに行く

 

バイトひとりひとりについてどう捉えているのか共有し

社員さんやバイトの接し方やそれぞれの相性とか、長所短所とか

沢山討論し、「うちらじゃもうどうもできねえよ…」ってよく頭を抱えていた

「…いっしょに辞めて、新しいお店でやりますか☆」

笑えない冗談で無理矢理笑っていた

 

 

これは飲みながら店長と話し合った時のメモ 

写真に帰ろうねって

一つ一つ整理してた

f:id:neverflatterothers:20200202042920j:image

 

そして毎月お店のミーティングを開くようにし、

課題共有をするようにした

 

分析した結果をもとに、

私はバイトメンツの相性を考慮しながらシフトをつくった

 

 

 

 

・指導

 

これは過去の記事でも触れた内容になる

 

バイトには、自分で考えて動けるようになってほしい

自分で方程式を見つけ、それを応用してほしい

 

どうしたらそうなるか

 

無理矢理考えさせるしかない

 

だから何かミスややるべきことを見つけた時には

「○○やって」

ってただ指示するんじゃなくて

「今この状況どう思う?」

「自分だったらどうする?」

って聞く

 

「…××ですかね?」

って言われたら、

「じゃあそれやってみ」

自分なりに答えを出させる

私は教えない

 

どうしても考えさせる時間が無かったり

そうさせる必要性がないなという時には

「こうすると効率良いよ」

「先輩の動きちゃんと見ときな」

 「分かんなかったら何でも聞いてね」

とか言って、答えを教えたり、漠然と何かを考えさせるよう促したりしてた

 

 

 

・みんなと仲良く

 

誰とでも冗談とか雑談できるように

皆に対し心を開いた

 

自分を慕ってくれたり好意的に接してくれる人に対して

悪い印象持つことってまずないじゃん?

 

みんなが仲がいいことに越したことはない

そこがブレなければバイトは定着しやすい

つまり仕事を極めやすい

 

だれとも分け隔てなく接するように

どこにも属さず寄らず

たまには飲みに誘ったりして

仕事に真剣に向き合う時間以外の時間を大事にした

 

 

 

 

 

 

以上。

 

今はそんなことさほど考えていない。

他に労力を費やさなければならぬことがある。

 

 

 

自分で言うのもなんだけど、

偉いね、昔の自分。まじで偉いよ。

将来に生きるといいね。

そんだけ頑張れたんだから、就活だってやり遂げられるよ。

 

 

 

…私を褒めてくれる人がいないから、自分で自分を肯定するしかできない

 

そんな哀れな女は最近ずっとYouTubeで全肯定ボイスを聞いているらしいよ。

 

 

 

 

あーーーーーーー!!!!!!!!

全肯定botが欲しい!!!!!!!!

よしよしされてーーーーー!!!!

バブバブしてえーーーーー!!!!

パパ活(みたいなこと)してた

私はこの1年間

彼氏がいなかった訳ですが、

 

パパ活

 

みたいなことをしていました。

 

 

仲良い友達には

パパ活してるぅ」なんて言ってましたが

でも厳密には、実際には、

その方々はパパではないです。

 

パパ活たる概念がまだ分からんのだが。

 

でも、きっとパパではない。

 

 

 

そして、

 

パパ活みたいな交流」

 

こそ、

私は皆さんにお勧めしたいです。

「ママ活」も然り。

 

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まず、パパ活とはなんぞやと。

Wikipedia様より。

 

パパ活とは、若い女性がキャバクラの同伴・アフターのように食事やお茶を共にする対価として、自らに金銭を与えてくれる経済的に裕福な男性(パパ、英:sugar daddy)を探して行われる活動である。”

 

 

 

…なるほど。

 

じゃあ私はパパ活してないわ。

健全だわ(ニチャァ)

 

 

 

私は3人、それっぽい人がいた。

 

 

 

 

【1人目】

・同伴やアフターみたいな食事に行かない

・でも頻繁に深夜飲みに連れてってくれる

・金銭は貰わない

・タクシー代はもらう(必要時)

・誕プレはもらった(ヴィヴィアンの財布)

・経済的に裕福な方ではない

 

 

【2人目】

・お洒落なカフェとかランチに連れてってくれる

・映画行ったり、多分1番デートっぽいことしてくれた

・金銭は貰わない

・クリスマスプレゼントをくれた(パジャマ)

・経済的に裕福な方

 

 

【3人目】

・お洒落なバーとかランチ、焼肉屋に連れてってくれる

・金銭は貰わない

(初回は押しつけられた)

・クリスマスプレゼントをくれた

(サマンサティアラのネックレス)

・経済的に裕福な方

 

 

 

そして、私が強調したいことは

【経済的に裕福な男性を探して行われる活動】

ってあるけれど、

私は一切探しに行っていない。

アプリとか使ったことない。

全て身の周りの方と、

成り行きでそうなった。

プレゼントもせがんでない。

 

(嘘)

 

(財布はせがんだ)

 

 …。

 

 

これだけは言っておきたい。

 

私はたかり女ではない!

 

 

 

(でも奢られるの大好き♡)

 

 

 

 

…どうなんだろう?

これって何活?

 

でも、

パパ活まがいなことには間違いないだろう。

 

 

 

何故私がパパ活をお勧めするのか。

 

 

 

 

それはずばり、

大人の話が聞けるから。

 

 

 

 

まだ社会人でもない自分にとって、

大人とまともに話す機会なんて滅多にない。

 

自分より倍以上生きている人から、

仕事観、人間観、恋愛観、結婚観、

色々な考え方を吸収することができる。

 

そして、

政治のこととか経済のこととか、

頭の良い話をいっぱいしてもらえる。

 

同世代の人と他愛の無い、あまり脳ミソ使ってない会話をすることに少々物足りなさを感じていた自分にとって、この機会はとても貴重であり、楽しみであった。

 

その人たちと話すことで、

自分の知らない情報が得られる。

 

自分の今の考え方や人生を

振り返ることができる。

 

自分の今後について

改めて考えるようになる。

 

 

こんなに有意義且つ、伸び伸びとできるような時間の使い方ってなかなか無いと思う。

 

 

そして、そんな時間の使い方のひとつとして、「パパ活みたいな交流」こそアリだと私は言いたい。

 

 

だからお勧めしている。

 

 

正確には、

 

「大人と交流(対話)したら楽しいよ」

 

ってこと言いたいのだが、

人脈云々考えると、それはなかなか難しい。

 

自分自身に魅力とか実力がないと、

もしくはそれらが相手に伝わらない限り、

大人の人は子供相手にまともに構ってくれないから。

 

…多分。

 

ただの若者にわざわざ時間を割く大人はいないんじゃないか。

大体の大人は忙しい。

 

 

でもパパ活・ママ活だったら

アプリとかですぐ関係を作れるし、

自ずと対話ができる。

というか、話すことが仕事だ。

 

ただ、パパ活・ママ活は用心が必要で。

体の関係トラブルとか、ガチ恋とか。

 

 

 

自己責任でな☆

 

 

 

できることなら、

「パパ募集してます」

「ママ探してます」

って探すより、

今関係を持っている大人と

密接になれるならそれがいいけど。

 

パパ・ママ募集している時点で

誠実さに欠けるし、

それに応える人の誠実さだって

保証できないから。

 

 

因みに私は、

お三方とはバイト先と学校で知り合った。

怪しいこととかは全くない。

 

会えば、

1人は仕事の話、

1人は福祉のこととか世論のこと、

1人は株とか政治とか、

至って真面目な話をする。

 

 

私は女の子ぶってブリブリしない。

何もとりつくろわない。

見た目だけはキレイにするけども。

 

 

私はその人たちと出会えたおかげで、

知らない世界や考え方に触れるとができた。

とても感謝している。

 

 

だからこそ今の人間関係に

物足りなさを感じている人がいるならば、

一度考えてみてもいいと思う。

 

 

 

 

ただ、まじで気をつけてほしい。

 

 

 

 

私は3人目の男性に、

初回、タクシーを降りるときに

8千円を押し付けられた。

 

私はかっこつけて、

「受け取れないです。

パパ活女にはなりたくないので」

そう言った。

 

そういえば

私が誠実な女に見えると思ったから。

 

そしたらガチ恋ぽくなってしまった。

 

車の中で、

「俺、本気で狙っちゃうよ?」

と言われたときは

思わずシートベルトに手が伸びた。

 

指輪を買いに行こうとか誘ってきたり、

マーキングが凄かった。

 

スッパリ割り切ることって大事なんだねって、

その時やっと気づいた。

 

 

その方とはもう関係を切ったので大丈夫。

 

…多分。

 

彼が私の何を知ったのか、

私が何をやらかしたか知らないが、

急にLINEでキレられた。

 

彼のメンヘラ感に恐れを感じ、

私が一方的に連絡を絶った。

 

きっとすぐに私のアカウントを特定し

この記事も読まれるのだろうな。

 

 

こんにちは。

ご無沙汰しております。

先日は失礼を致してしまい、

誠に申し訳ございませんでした。

 

 

 

…自宅の近くまで来られないことを祈る。

 

 

 

素晴らしい経験をありがとうございました。

心より感謝申し上げます。

 

 

 

                敬具