私のナラティブ

正しいかどうか別として ごちゃごちゃ頭の整理箱

福祉事務所における対人援助

これが、

私の24日間のSW実習で出した

精一杯の答え。

 

専門的かもしれないし

そうでないかもしれない。

 

 

興味ない人はブラウザバックで。

 

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生活保護受給者への支援】

 生活保護における相談援助としての特徴は、まずはじめに「保護脱却を目指すか否か」にあり、どちらの方針をとるのかにより大きく支援のあり方が変わると考える。保護費支給により健康で文化的な最低限度の生活の保障はされるが、それ以上は見込まれない。だからといって皆が皆それ以上の生活を営むために保護脱却を目指す(就労し、経済的自立をする)のではなく、「保護をこれからも受け続ける中で如何により良い生活を送るのか」にも留意して支援をしていく必要がある。支援をするにあたりその点を明確にすることは大前提であると思う。

 

 また、生活保護のCWは被保護者からすれば、「己の財源を握っている人」である。支給決定はCW自身ではなく市区町村が決めることであるが、CWはそれらの窓口もしくは伝達者のようなものであり、被保護者の目にCWがそのように映ることは自然だと思う。つまり、生活保護の相談援助において支援者(CW)と被支援者との力関係に差が出てしまうことが危惧される。支援をするにあたり、強者・弱者があってはならない。あくまで主体は被保護者である。支援者は被保護者の手を引っ張っていくのではなく、背中を押していくのではなく、お互い手を取り合って、同じ方向を向いて進んでいくことが理想の支援だと私は考える。そのような支援を行うために、生活保護における相談援助では他分野よりも一層関係の在り方について留意しておく必要がある。

 

 そして、支援の対象者の共通事項と言えば「経済的困窮」ということだけであり、年齢や境遇、主訴は人それぞれだ。他分野よりも支援対象者の傾向における幅は広いといえる。保護費支給をするわけであるから、経済的困窮が主訴の世帯の場合問題は解決するであろう。しかしそのような簡単なケースは稀であり、実際は他に何らかの問題があるため経済的困窮に至るケースが多い。保護の申請は「経済的に困窮したため」であるが、CWはその言葉の裏側まで理解しようという姿勢が求められ、そして問題の根本的解決に努める必要がある。

 

【高齢者への支援】

 高齢者支援における相談援助は、その名の通り対象者は高齢者である。高齢者支援の根底に潜む問題として「経済的困窮」「介護」が挙げられる。

 

 経済的困窮は、年金生活でやりくりできなくなった人、もしくは年金の受給資格がない人が傾向として強いと感じられた。このような場合、上記で述べたような「生活保護における援助」を展開していく。

 

 一方、介護が要素として含まれる場合は特に高齢者特有であり老々介護、8050問題、高齢者虐待など問題の在り方も複雑である。主に関しては認知症なのか、年齢による身体的障害なのか。親族に関してはその有無、介護が可能であるか。それを踏まえたうえで、在宅か、施設入所か。被支援者は介護されないと生活ができないため、絶対的に他者からの支援を必要とする。つまり、キーパーソンは誰か?そもそもいるのかどうか?そこが問題解決への鍵を握っている。支援を進めるにあたって、高齢者であるがゆえに本人からの同意を得ること、本人主体の援助方針の作成がより困難である。それだけでなく、親族などのキーパーソンからの同意を得ることも困難である場合が良くある。だからといってCWの本意で支援を進めることはできない。よって高齢者支援のCWは被保護者本人へのアプローチは勿論のこと、それ以上にキーパーソンへのアプローチ・関係性づくりが求められると考えた。介護が必要だからと言って、単に主に対して介護サービスを導入するのでは問題は解決しない。それ以外にも、家族関係の強化・修復、介護者(家族)の心のケアも支援の一環として必要であるだろう。

 

障がい者への支援】

 障がい者への相談援助については、知的障がいと精神障がい分野の2つを述べていく。

 

 知的障がい者の相談援助において一番留意することは、障がい者の意思理解であると思う。軽度であろうが重度であろうが、知的障がい者に意志は必ず存在している。必ず存在してはいるものの、それがうまく表出されているとは限らない。表出されていても、支援者が理解できているとは限らない。健常者よりも意志の表出とその理解が困難であることから、知的障がい者の人権は脅かされやすいといえる。現に知的障がい者施設での虐待事件が幾度も発生しており、支援者は知的障がい者の意思の表出がどこまで理解できるか、どれだけ知的障がい者における権利擁護のアンテナを張り彼らを守ることができるのかが大切である。しかし、CWが彼らと向き合える時間は限定されており、理解することに時間を要する。施設職員や家族など、より彼らと過ごす時間が長い方々のほうが意志理解に長けているであろう。よって、CW自身が知的障がい者に対しそのような姿勢で支援に臨むことに加え、施設職員や親族とも関係性を十分に築き情報共有していくことが必要である。

 

 精神障がい者の支援においては、まず支援者が留意しておくこととして「精神障がいへの理解」が挙げられる。どの分野においても当事者への理解は必須であり大前提であるが、精神障がいは特にその必要性が感じられた。というのも、症状に波があり、(軽度・在宅は特に)一見普通に健康的な人もしくは少し変わった人と見受けられる場合があるからである。実際私が生活保護の定期訪問を何件か行った際、「この人はただ打たれ弱いだけなのではないか」「本当に就労できないのだろうか」という考えがよぎってしまうほどに元気そうであった。このように、精神障がいは目に見えづらいため、理解をするには知識や経験、当事者との向き合う時間を要する。そこをおろそかにしてしまうと支援が根本からずれてしまうため、注意が必要である。

 

 また、精神障がい者における権利擁護が取り上げられ、地域移行支援が進められている風潮に伴い、精神病院への入院が難しくなっている。精神障がい者の人権を守ることは絶対条件であるが、人命を守ることが最も優先されるべきと思われる。人命を守るために精神病院への入院が必要な場合があるのならば、措置入院が取れるのか、不可能であれば医療保護入院は可能であるのか、応急入院は可能であるのか、本人や親族、病院との兼ね合いを総合的に判断する必要がある。俯瞰的に情報を整理・計算をし方向性を定めるその裁量は障がい者支援のCWにかかっている。

 

【児童への支援】

 児童における相談援助では、主への支援は勿論のこと家族への支援をする必要がある。児童における対応ケースとしては虐待やネグレクト、経済的貧困が傾向して多いという所感であった。それらの背景にはひとり親家庭や若年出産、そこに関連する貧困の連鎖が挙げられる。精神的貧困にも発展しうる。児童分野とひとくくりに言っても、実際には家庭支援であると私は考える。子どもは親があってこその子どもであり、子どもだけの問題は皆無である。問題の根源は親などの家庭環境にある。貧困の連鎖を断ち切るためにも、児童支援は特に根本的解決に向けて計画を立てアプローチをする必要があると考える。親や生育環境改善を試みることは絶対であるが、大人は今まで育ってきた環境や考え方が定着しているため、変えることはなかなか難しい。問題の根幹はそこであると同時に、児童支援における難点である。しかし子どもに関してはこれから先、たくさんの可能性を秘めており、何にだってなれる。頭が柔軟であるため良い軌道に乗せやすい。子どもを育てることは、未来の日本を育てることでもある。以上のことが児童における支援にて他分野との違いであり、魅力であると思う。

 

【信頼関係について】

 ニーズ把握とその後の支援については、被支援者に「信頼してもらうこと」(「信頼関係を築く」のではなく)、その人の発言内容や成育歴、生活状況、生活環境を資料や直視することで情報収集をすること、あくまで主体は被支援者であるためソーシャルワーカーが独り歩きしないということ、何でもかんでもすぐ行動に起こすのではなく、あえて「待つ」ことも支援において必要なのだと学んだ。

 

 第三者による支援については、特に相談支援の現場に同行することで理解を深めることができた。多職種連携を基本とし、これもやはり「信頼してもらうこと」が重要と感じた。

 

 「信頼関係を築く」ではなく「信頼してもらうこと」という表現にこだわるのは、以下の理由からである。

 

 事例集や大学で取り扱う専門書などでは、クライアントに対して「信頼関係を築く」という記載が多くみられる。しかし、“信頼関係”という概念的なそれにおいて、築けたか否かを判断するのは無論支援者ではなく、“相談者”である。“支援者”が、目に見えない感覚的なそれを判断したとして、それのどこに意味があるだろうか。それは驕りにあたるのではないのか。

 

 よって、私は支援する立場の人間が、信頼関係を“築く”という表現をすることは芳しくないと考えた。“築く”とは体制をつくることであり、双方の信頼感情を組み立てることが連想される。組み立てるには、互いが互いについて「あなたを信頼している」と認知している必要がある。しかし、支援者側が「信頼してもらえている」と捉えることほど、信憑性の低いものは無い。理由は前段落で述べたとおりである。

 

 支援者が「相談者を信頼すること」を前提として話を進めるが、この場合、相談者に信頼を置いてもらえれば、それだけで十分なのである。関係性云々は相談者自身が考えれば良い。

 

 したがって、ソーシャルワーカーが相談者に対する姿勢として、「信頼関係を築く」ではなく「信頼してもらうこと」こそが一番在るべきであり、近しい表現であると考える。

 

 支援者が「信頼してもらうこと」を第一姿勢とし、そのために相談者を信頼し、尊重し、それに伴うアプローチをする。相談者がそれに答えてくれた場合、あくまでもその結果が、「信頼関係を構築できた」ということにつながるのではないか。

 

 

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これは、

実習の個人報告書に載せたかった内容を

一部抜粋したものです。

 

何でわざわざここに載せたかったかというと、

この内容が教授にOKを貰えなかったからです。

報告書は若干ですが、

内容が違います。

 

【〇〇への支援】に関しては

あまり変わってないです。

 

ただ、報告書なのに

私の日本語が偉そうだったらしく

「〜と学んだ」

「〜だと知った」

という語尾に変えました。

 

1番駄目だったのが、

【信頼関係について】

これは教授は勿論、

友達にも理解されませんでした。

なので、ちゃんと書けませんでした。

 

私の価値観が歪んでいるのかもしれません。

でも、私の今の答えはこれなので、

嘘はつきたくないです。

嘘をつきませんでした。

 

 

めっちゃ長文ですみません。

読んでくれてありがとう。