私のナラティブ

正しいかどうか別として ごちゃごちゃ頭の整理箱

福祉事務所における対人援助

これが、

私の24日間のSW実習で出した

精一杯の答え。

 

専門的かもしれないし

そうでないかもしれない。

 

 

興味ない人はブラウザバックで。

 

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生活保護受給者への支援】

 生活保護における相談援助としての特徴は、まずはじめに「保護脱却を目指すか否か」にあり、どちらの方針をとるのかにより大きく支援のあり方が変わると考える。保護費支給により健康で文化的な最低限度の生活の保障はされるが、それ以上は見込まれない。だからといって皆が皆それ以上の生活を営むために保護脱却を目指す(就労し、経済的自立をする)のではなく、「保護をこれからも受け続ける中で如何により良い生活を送るのか」にも留意して支援をしていく必要がある。支援をするにあたりその点を明確にすることは大前提であると思う。

 

 また、生活保護のCWは被保護者からすれば、「己の財源を握っている人」である。支給決定はCW自身ではなく市区町村が決めることであるが、CWはそれらの窓口もしくは伝達者のようなものであり、被保護者の目にCWがそのように映ることは自然だと思う。つまり、生活保護の相談援助において支援者(CW)と被支援者との力関係に差が出てしまうことが危惧される。支援をするにあたり、強者・弱者があってはならない。あくまで主体は被保護者である。支援者は被保護者の手を引っ張っていくのではなく、背中を押していくのではなく、お互い手を取り合って、同じ方向を向いて進んでいくことが理想の支援だと私は考える。そのような支援を行うために、生活保護における相談援助では他分野よりも一層関係の在り方について留意しておく必要がある。

 

 そして、支援の対象者の共通事項と言えば「経済的困窮」ということだけであり、年齢や境遇、主訴は人それぞれだ。他分野よりも支援対象者の傾向における幅は広いといえる。保護費支給をするわけであるから、経済的困窮が主訴の世帯の場合問題は解決するであろう。しかしそのような簡単なケースは稀であり、実際は他に何らかの問題があるため経済的困窮に至るケースが多い。保護の申請は「経済的に困窮したため」であるが、CWはその言葉の裏側まで理解しようという姿勢が求められ、そして問題の根本的解決に努める必要がある。

 

【高齢者への支援】

 高齢者支援における相談援助は、その名の通り対象者は高齢者である。高齢者支援の根底に潜む問題として「経済的困窮」「介護」が挙げられる。

 

 経済的困窮は、年金生活でやりくりできなくなった人、もしくは年金の受給資格がない人が傾向として強いと感じられた。このような場合、上記で述べたような「生活保護における援助」を展開していく。

 

 一方、介護が要素として含まれる場合は特に高齢者特有であり老々介護、8050問題、高齢者虐待など問題の在り方も複雑である。主に関しては認知症なのか、年齢による身体的障害なのか。親族に関してはその有無、介護が可能であるか。それを踏まえたうえで、在宅か、施設入所か。被支援者は介護されないと生活ができないため、絶対的に他者からの支援を必要とする。つまり、キーパーソンは誰か?そもそもいるのかどうか?そこが問題解決への鍵を握っている。支援を進めるにあたって、高齢者であるがゆえに本人からの同意を得ること、本人主体の援助方針の作成がより困難である。それだけでなく、親族などのキーパーソンからの同意を得ることも困難である場合が良くある。だからといってCWの本意で支援を進めることはできない。よって高齢者支援のCWは被保護者本人へのアプローチは勿論のこと、それ以上にキーパーソンへのアプローチ・関係性づくりが求められると考えた。介護が必要だからと言って、単に主に対して介護サービスを導入するのでは問題は解決しない。それ以外にも、家族関係の強化・修復、介護者(家族)の心のケアも支援の一環として必要であるだろう。

 

障がい者への支援】

 障がい者への相談援助については、知的障がいと精神障がい分野の2つを述べていく。

 

 知的障がい者の相談援助において一番留意することは、障がい者の意思理解であると思う。軽度であろうが重度であろうが、知的障がい者に意志は必ず存在している。必ず存在してはいるものの、それがうまく表出されているとは限らない。表出されていても、支援者が理解できているとは限らない。健常者よりも意志の表出とその理解が困難であることから、知的障がい者の人権は脅かされやすいといえる。現に知的障がい者施設での虐待事件が幾度も発生しており、支援者は知的障がい者の意思の表出がどこまで理解できるか、どれだけ知的障がい者における権利擁護のアンテナを張り彼らを守ることができるのかが大切である。しかし、CWが彼らと向き合える時間は限定されており、理解することに時間を要する。施設職員や家族など、より彼らと過ごす時間が長い方々のほうが意志理解に長けているであろう。よって、CW自身が知的障がい者に対しそのような姿勢で支援に臨むことに加え、施設職員や親族とも関係性を十分に築き情報共有していくことが必要である。

 

 精神障がい者の支援においては、まず支援者が留意しておくこととして「精神障がいへの理解」が挙げられる。どの分野においても当事者への理解は必須であり大前提であるが、精神障がいは特にその必要性が感じられた。というのも、症状に波があり、(軽度・在宅は特に)一見普通に健康的な人もしくは少し変わった人と見受けられる場合があるからである。実際私が生活保護の定期訪問を何件か行った際、「この人はただ打たれ弱いだけなのではないか」「本当に就労できないのだろうか」という考えがよぎってしまうほどに元気そうであった。このように、精神障がいは目に見えづらいため、理解をするには知識や経験、当事者との向き合う時間を要する。そこをおろそかにしてしまうと支援が根本からずれてしまうため、注意が必要である。

 

 また、精神障がい者における権利擁護が取り上げられ、地域移行支援が進められている風潮に伴い、精神病院への入院が難しくなっている。精神障がい者の人権を守ることは絶対条件であるが、人命を守ることが最も優先されるべきと思われる。人命を守るために精神病院への入院が必要な場合があるのならば、措置入院が取れるのか、不可能であれば医療保護入院は可能であるのか、応急入院は可能であるのか、本人や親族、病院との兼ね合いを総合的に判断する必要がある。俯瞰的に情報を整理・計算をし方向性を定めるその裁量は障がい者支援のCWにかかっている。

 

【児童への支援】

 児童における相談援助では、主への支援は勿論のこと家族への支援をする必要がある。児童における対応ケースとしては虐待やネグレクト、経済的貧困が傾向して多いという所感であった。それらの背景にはひとり親家庭や若年出産、そこに関連する貧困の連鎖が挙げられる。精神的貧困にも発展しうる。児童分野とひとくくりに言っても、実際には家庭支援であると私は考える。子どもは親があってこその子どもであり、子どもだけの問題は皆無である。問題の根源は親などの家庭環境にある。貧困の連鎖を断ち切るためにも、児童支援は特に根本的解決に向けて計画を立てアプローチをする必要があると考える。親や生育環境改善を試みることは絶対であるが、大人は今まで育ってきた環境や考え方が定着しているため、変えることはなかなか難しい。問題の根幹はそこであると同時に、児童支援における難点である。しかし子どもに関してはこれから先、たくさんの可能性を秘めており、何にだってなれる。頭が柔軟であるため良い軌道に乗せやすい。子どもを育てることは、未来の日本を育てることでもある。以上のことが児童における支援にて他分野との違いであり、魅力であると思う。

 

【信頼関係について】

 ニーズ把握とその後の支援については、被支援者に「信頼してもらうこと」(「信頼関係を築く」のではなく)、その人の発言内容や成育歴、生活状況、生活環境を資料や直視することで情報収集をすること、あくまで主体は被支援者であるためソーシャルワーカーが独り歩きしないということ、何でもかんでもすぐ行動に起こすのではなく、あえて「待つ」ことも支援において必要なのだと学んだ。

 

 第三者による支援については、特に相談支援の現場に同行することで理解を深めることができた。多職種連携を基本とし、これもやはり「信頼してもらうこと」が重要と感じた。

 

 「信頼関係を築く」ではなく「信頼してもらうこと」という表現にこだわるのは、以下の理由からである。

 

 事例集や大学で取り扱う専門書などでは、クライアントに対して「信頼関係を築く」という記載が多くみられる。しかし、“信頼関係”という概念的なそれにおいて、築けたか否かを判断するのは無論支援者ではなく、“相談者”である。“支援者”が、目に見えない感覚的なそれを判断したとして、それのどこに意味があるだろうか。それは驕りにあたるのではないのか。

 

 よって、私は支援する立場の人間が、信頼関係を“築く”という表現をすることは芳しくないと考えた。“築く”とは体制をつくることであり、双方の信頼感情を組み立てることが連想される。組み立てるには、互いが互いについて「あなたを信頼している」と認知している必要がある。しかし、支援者側が「信頼してもらえている」と捉えることほど、信憑性の低いものは無い。理由は前段落で述べたとおりである。

 

 支援者が「相談者を信頼すること」を前提として話を進めるが、この場合、相談者に信頼を置いてもらえれば、それだけで十分なのである。関係性云々は相談者自身が考えれば良い。

 

 したがって、ソーシャルワーカーが相談者に対する姿勢として、「信頼関係を築く」ではなく「信頼してもらうこと」こそが一番在るべきであり、近しい表現であると考える。

 

 支援者が「信頼してもらうこと」を第一姿勢とし、そのために相談者を信頼し、尊重し、それに伴うアプローチをする。相談者がそれに答えてくれた場合、あくまでもその結果が、「信頼関係を構築できた」ということにつながるのではないか。

 

 

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これは、

実習の個人報告書に載せたかった内容を

一部抜粋したものです。

 

何でわざわざここに載せたかったかというと、

この内容が教授にOKを貰えなかったからです。

報告書は若干ですが、

内容が違います。

 

【〇〇への支援】に関しては

あまり変わってないです。

 

ただ、報告書なのに

私の日本語が偉そうだったらしく

「〜と学んだ」

「〜だと知った」

という語尾に変えました。

 

1番駄目だったのが、

【信頼関係について】

これは教授は勿論、

友達にも理解されませんでした。

なので、ちゃんと書けませんでした。

 

私の価値観が歪んでいるのかもしれません。

でも、私の今の答えはこれなので、

嘘はつきたくないです。

嘘をつきませんでした。

 

 

めっちゃ長文ですみません。

読んでくれてありがとう。

 

 

言語化を諦める

 

そらそろ死ぬ気がする

 

 

 

9月

 

バイクで通勤中

単独事故を起こす

 

腰も痛めたし

全体会議にも遅れた

 

お気に入りのカウルにも

派手な傷が

 

 

ぴえん

 

 

 

10月

 

深夜テンションで夢の国チケットを買う

 

その3日後に右足指を骨折

 

2週間後には左足指を打撲捻挫

 

 

 

折った指は

くっつかないかもとお医者様に言われました

針金ぶっ刺すか聞かれたのでやめときました

 

 

 

 

 

 

ぱおん

 

 

 

 

 

この記事が遺書になりませんように

 

 

ひひん

 

 

 

 

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お久しぶりです

 

自分語りを怠っていると

どうやら私の中の何かが滞っているような

溜めてはいけない何かでいっぱいになるような

そんな感覚になるのです

 

 

 

正月に帰省した時も家に入れてくれなかった

帰省したいと言ってもまだダメだと

某ウイルスに敏感だった母親ですが

私が精神狂ってきてると察したのか

電話先で突如発狂し咽び泣いてたら

早く帰ってきて休みなさいと言ってきたので

特急電車に乗ってる今

 

 

 

そういえば

このブログをはじめたのも

特急で帰省中の時だったなとか

 

 

 

親に護られていたクソガキの頃のこと

社会人として半年を乗り越えた正念場の数々

 

 

色々頭の中に巡るものがあって

 

 

 

どうせならここに置いていこうと思い

30分遅延して

やっとこさ座れた指定席に深く座って

こうしてスマホをポチポチしている次第であります

 

 

 

 

とか言っといてあれなんですが

15分も弄っていたら気持ち悪くなって

私、車酔いなんてする人じゃなかったよなと思い

 

 

 

乗り物酔いは自律神経がやられてる

メンタル弱い人がなりやすいって

最近某配信者が言ってたのを思い出して

 

 

 

 

 

 

 

 

潔く書くのを諦めて

おばさんから頂いたリュックを抱いて

寝ることにします

 

 

 

 

 

また目が覚めたときに

 

 

 

 

 

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あっという間に2日過ぎた

 

SNSから離れて

 

優しい友人らからDMで心配の連絡が来ても

一切無視して家族と他愛の無い会話をし

 

吐きそうとしか言わない私を乗せ

車で地元の山頂へ向かい

高台から沈んでいく夕日を眺め

 

よく誕生日にお世話になった

ケーキ屋さんへ行き

美味しいねとケーキを食べ

 

吐きそうと言いながら

山奥にある温泉へ行き

 

夕食を食べ

また吐きそうになる

 

帰ってきて犬の散歩に

家族全員で行く

 

吐きそうだの

足が痛いだの文句ばかりで

よちよち歩く私を

母親は待ってくれた

 

 

父親は

「足先に神経がいってないのは

頭がいっぱいいっぱいなんだよ」

と、私にヨガを教えてくれた

折れた足指に気をつけながら

整体をしてくれた

 

 

 

 

 

座って息つく間もなく

朝の6時から2時間バタバタ動き回ってる

そんな母親と衆議院選挙のニュースを眺めながら

私は無駄に早起きだけして

「疲れてるんだからもう一寝入りしなさいよ」

と余計なお世話を焼いてくれる母へ

食べたら寝るわと素っ気なく言い

用意されていた朝ごはんをちんたら食べて

 

寒い中薄着で爽快に自転車を飛ばしていく

母親を見送り

今優雅に朝風呂を極めている

惰民キッズへと退行した私

 

誰よりも心身不健康で

親不孝にもブスッとしていた私ですが

出勤間際に母親にこう言われた

 

 

 

 

「お父さんと話したんだけどね」

「あんたが帰ってきて、私達も元気貰えたねって」

 

 

 

 

どうやら私はただ生きているだけで

自分以外の人間に元気を与えられるらしい

 

 

この二日間で唯一の善行だ

 

 

 

不思議と地元へ帰ると

存在だけで喜ばれる子どもへと戻れるらしい

 

 

 

子どもを拗らせている

 

 

 

暫く書くことを辞めていた訳だが

今回いざ書こうと思えばこうも

回りくどい言い方が鼻に触る

長ったらしくて

結局何が言いたいのかが分からないような

この文章の癖は健在であるみたいだと気づく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けれど、最近多くなった

 

 

 

 

喋ることを敢えて辞めることが

 

 

説明を避けることが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空の青さを説明することが難しいように

言葉なんかじゃなくて実際に見なきゃ

青色なんてどんな色かが分からないように

 

 

 

 

 

私の経験が元になった感じ方、考え方

知識、直感、そして、志

 

  

 

 

 

それらから成る私の欲求や決断が

私の属するチームのそれと異なる時

 

 

 

 

 

 

「どうせここの大人には理解してもらえない」

「幾ら言語化したって感覚は伝えられない」

「私の今の立場じゃ言っても無駄なんだ」

 

 

 

 

 

それが正義だと謳って

それが〇〇のためだと謳って

 

 

 

 

 

コロナ禍がなんだの

少子高齢化でどうだの

だからこうだのって

 

 

 

 

何だその持論、違うやろ

どこからのソースですか

マヨネーズですか

 

 

 

 

 

 

私はこう思います!!!

ケチャップ!!!!!

 

 

 

 

 

そう思っても、言葉に出来ない

 

 

 

なぜなら、肩書きはもう社会人だから

 

 

 

 

もう子どもではなくなってしまった

 

 

 

 

 

身内でもない人間を守ることになった

勤め先に守られることになった

 

 

だから下手に動けない

自分の為にも

穏便に済ませたいと願う偉い人の為にも

 

 

 

大人という言葉が嫌いで

大人を自称する人間が嫌いな私

子どもを拗らせている

我の強い私にとっては

 

 

 

 

我慢して黙るということ

見過ごすということ

思考を無にして操り人形となることは

 

 

 

きつくてきつくてたまらない

 

 

 

 

 

 

 

 

生きづらい

 

 

 

 

そう思っても、だからといって

 

自分を責めたくなったり

自分を否定する気には一切ならなかった

 

 

そんな自分が好きだから

 

 

 

 

 

 

じゃあどうすればいい?

 

 

そうだ、言わなきゃいい

黙ってりゃいい

 

 

 

私が勝手に、ひとりで、こそこそと

やりたいことをやろう

 

 

 

そう思ってこの半年間働いてきた

 

 

 

だから、

先輩方や同期の愚痴には

「あはは、それは大変でしたね」

としか言わなかった

 

 

愚痴るくらいなら

 

こんな割に合わない仕事辞めろ

直接本人に言え、もしくは行動に移せ

 

そう思っていた

 

仕事の愚痴を職場の人間に言わないようにした

 

 

そんな職場の人間の働きぶりに関する不満を

友人や家族にだけ吐き出した

 

 

勤務時間に事務所でただ駄弁っている

先輩方には関わらないようにした

 

 

 

 

引き継ぎをさっさと終えて

「他に何かありますか?」

と聞いて無いと言われれば即

「今日も宜しくお願いします」とだけ言って

すぐにホームへ飛び出した

 

 

 

 

 

 

そんな大人と関わるより

子どもと関わっていたかった

 

 

 

 

 

そうして陰でこそこそと好き勝手やった

ルールの狭間を狙い、

時にはルールを破り、

平然を装い嘘をついた

 

 

 

 

 

子どもとの秘密ごとが増えた

私はそれを抱えることが辛くなった

 

 

 

子どもから向けられる欲求へ応える度

欲求の先が私に集中、そして度量もエスカレートする

それでも私は応えていく

 

 

 

 

心身ともに確実に

何かがすり減っていくのを感じた

 

 

 

 

 

黙ることで他に起きた弊害

 

 

 

 

 

吐き出すことも

整理することも出来ない為に

 

思考がパンパンになる

 

 

 

 

 

何を考えてるのか分からなくなって

でも何かしら考えてはいて

自分の脳みそだけが私の本体で

身体の存在を忘れていく

 

 

 

自分の身体が悲鳴を上げたとて

神経の末端に意識がいかなくなったとて

それに気づかなくなる

 

 

 

 

私の骨折と捻挫は、それによるものだと思う

単独事故を起こした時もヘラヘラ笑っていた

感覚が正常に働いていないが故だろう

 

 

 

 

 

 

そして余裕が無くなる

 

 

 

 

たかが30分の電車の遅延、

一時的に通信障害が起きた、

雨が降った時に雨具を忘れた、

 

 

 

たったそれだけのことで

もういいや、全てが無理だと

急に感情が昂り暴走する

 

 

 

 

 

涙が止まらなくなるし

したくも無いのに嗚咽がする

人間関係を切りたくなる

その場面に運悪く対峙した人へは

遠慮せず怒鳴り散らかしてしまう

 

 

 

 

 

これが今の私

 

 

 

 

中々寝付けないし

3時間も寝たら起きてしまう

その後2時間は眠れない

 

 

 

 

つい3ヶ月前まで

一人でMサイズのピザをぺろっと

平らげていた私ですが

 

 

 

 

今じゃ常に喉の奥が

ギュッと閉まっていて

食欲というものがあまり湧かない

 

 

 

 

乗り物にはすぐ酔うし

吐き気は乗り物から降りても暫く続く

 

 

 

お昼に食べてねと

父親が持たしてくれた特大おにぎりも

本当は帰りの特急電車の中で食べたかった

 

 

 

けれど

身体が「いらねえ」と言う

 

 

 

 

 

 

私は私の理性を信用しない

 

 

 

 

 

2012-2017間、日本で労災認定された

過労自殺の6割は

精神疾患発症から6日以内だという

 

精神科への受診歴のない人も多く

突発的に人は死んじゃうんだと

 

 

 

 

私はそうはなりたくない

 

 

やりたいことがある

やりきれていないこともある

悲しませたくない人がいる

 

 

 

 

 

 

散々暗いことばっか話して来ましたが

 

それでも最近悪いことばかりではないみたいで

 

 

 

 

 

 

 

 

私が裏で好き勝手やってたことは

施設長に薄々気づかれてました

 

私がやりたくてもやりきれなくて

悔しくて施設長の前で泣いていたことは

リーダーの耳にも入ったみたいです

 

 

 

私がかつて目指していたけど

どうせ無理なんでしょと諦めていた在り方を

求めて行きなさいよと鼓舞してくれた施設長

 

 

 

私が参加したくても勤務上無理だった研修を

改めてやろうかと声をかけてくれた施設長

 

 

 

 

今まで我慢させて押さえつけてきてごめん

これからは君の考えを聞いて

君の案や行動を尊重していきたい

そう言ってくれたリーダー

 

 

 

 

愚痴があればどんどん言ってね

私達もいっぱい言ってるし、聞くからね

そう言ってくれた先輩

 

(でも私は絶対言わないこれだけは譲れない)

 

 

 

 

 

私の声を聞こうとしてくれる人が

私の目に映るようになってきました

 

 

 

 

半年間頑張ってきて本当によかった

 

 

 

 

 

あとは私次第

 

 

 

 

 

その人たちへ、

 

 

 

 

どれだけ気持ちを、考えを伝えられるだろうか

言語化をあきらめないでいられるだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからもし

 

この記事を最後まで読んでくれた人がいたら

 

その人へ伝えたい

 

 

 

 

 

 

 

私みたいに遠回りはしないでください

 

 

 

 

 

 

 

 

想いがあるなら形にしましょう、

私と一緒に。

 

例え伝わらずとも、

伝えようとしただけ十分価値があるのだと信じて。

 

 

 

 

 

 

私も頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言語化を試みる

 

二度寝をした。

 

 

 

たまたま父親から

運良く電話が来て起きた

 

それが13:30

 

今日は携帯会社に来店予約をしていた

 

それが14:00

 

私を起こしてくれたお父さん

着信がしつこいので電話に出た

電話の内容が謎すぎてピキッときた

 

救世主の彼に半ばキレながら支度をする

お父さんは何でキレられてるのか分からず

オロオロと「忙しいのにごめんね」を連呼

 

 

勿論悪いのは私

完全なる八つ当たり

そんなの分かってる

 

 

 

死ぬ気で家から飛び出て

死ぬ気でバイク飛ばして

 

携帯会社には10分遅刻しつつも

大丈夫だった

逆に待たされたまである

 

あくびをしながら

携帯会社のおじさんの話に

欠伸をしながらテキトーに相槌を打つ

 

 

通知で光る私の携帯画面

横目に見たら友達からのLINE

 

『明日の卒業式、

〇〇も誘ってて××駅に9時頃集まれそうだって!』

 

『君は着付けの時間とか、どんな感じ?』

 

 

…ああ、そうじゃん。

明日は卒業式。

 

…着付け???

ああ、何時だっけ?

 

…てか会場どこ?

 

 

 

何も把握してないや。

 

 

 

 

友達に言われた。

 

 

 

『明日だけど大丈夫なんwwww』

 

 

…なるほどそうか、

これはきっと大丈夫ではないのか。

 

 

 

…。

 

 

急に焦り始める。

 

 

でも確認しようがない。

だって今出先だから。

 

 

お陰で眠気が飛んでった。

そして腹が痛くなった。

 

 

 

携帯会社での用が済み、

とりあえずカフェに入る。

 

 

 

今日初めてのタバコを吸い、

こんな日にぴったりな曲を、と思い

イヤホンで#Cookie Jarをガンガン流し、

荒れかけてた心にゆとりを取り戻す

 

 

とりあえず混沌とした情報の整理と

作戦タイムを自分に設けた

 

 

 

まずLINEで親に携帯会社の件を報告

 

 

そして無礼を承知で

同じ着付け会社で予約した友達に

DMで着付け会場と概ねの時間を聞く

 

 

有難いことに、

友達は即レスをしてくれて

 

 

明日が始発レベルで早いことが発覚

とても萎える私

 

 

何故キャンパスが遠い学部の方が

本拠地学部の民より

卒業式の開会時間が早いのだろうか

 

 

 

 

…余計腹が痛くなる

 

そして何で私は

コーヒーを頼んだんだろうか

 

心なしか胃がキリキリする

 

 

 

空きっ腹にタバコとコーヒー

それはそうね、

私が悪うございました

 

 

 

それに追い討ちをかけるように

家族からLINE通知がポンポン来る

 

鬱陶しすぎて更にイライラが増す

 

 

 

 

『〇〇と××の割引それぞれ効いた?』

 

 

ーーいや、××は知らんかったし

〇〇のしか伝えてないからその分だけだと思う

 

 

『今の担当者さんに2つとも割引なるか連絡して』

『あと明日、お母さんも契約するから

また割引効くようになると思うからよろしく』

 

 

 

 

 

 

ーーうるせえええええええ

しらねえええええええええ

早く言えよそれえええええ

 

 

今私はそれどころではないので、

未読無視をキメる。

 

 

携帯会社に行ったのは

他社から乗り換えをするためだった。

 

 

私の本意ではない。

親にやれやれ言われたから。

 

勝手にMNP予約番号を発行されたから。

 

 

 

 

 

 

そうしてこうして乗り換えたての私のスマホ

地下のカフェではめちゃくちゃ通信が悪いらしい

 

 

 

検索や音楽再生がクソほど遅い。

 

 

ネットで携帯のサービス契約を確認しようとも、

変更しようと思っても、

 

そもそもアカウントを作らなければならないのに

それすら通信が遅くて進まない。

 

 

 

担当者に連絡しようにも

名前忘れたし名刺貰ってないし

わざわざさっきまで居た店にまた電話するのは怠い

そしてまた来店予約しろは御免だ

どうせネットでもできるだろう

 

 

まあそのネットが今鬼遅なんだが

 

 

 

尚更イライラする。

 

 

 

 

 

 

だからこうして

オフラインで1500文字も

誰がこんなの読んで面白いと思うのかという

ただの糞人間の日常の鱗片を

今ここで残している訳である。

 

 

 

なんて贅沢な時間の使い方なんだろう。

なんて下手くそな時間の使い方なんだろう。

 

 

 

 

 

余裕ぶってるくせに、

全てにおいてギリギリな生活。

 

それが当たり前になってしまった。

 

 

 

 

 

 

つい先日も連絡不足で、

就職先から電話がかかってきた。

 

 

 

 

就職先ではそういう関係で色々

やらかしまくっているので、

私の印象は最悪であろう。

 

まあさほど気にはしていない。

 

 

 

 

 

最初はポンコツ低脳ヘラヘラキャラで入社し、

信頼度底辺であろうが

悪いウワサが職場に回ろうが

私の知らない職員さんにそう思われようが

(↑既に起きている)

 

 

 

 

 

仕事で結果を残し、

日々の報告書で実はめっちゃ考える力あります

知識もありますというアピールをし

周りの先輩方との関わりの中で

いっぱいヨイショして、

いつも曇り空みたいな職場でニコニコしまくって

 

 

 

 

たまに阿保面をさげながらロジハラ論破をキメて

と思ったら献身的に

雑務から先輩の仕事をもこなし、

謙虚ムーヴで素直に指示を受け、

積極的に自分へのアドバイスを仰ぐ。

 

 

 

 

そんなかんじで

「コイツ…あなどれない!」

って思わせて

職場内のゴールドシップになるのが私の計画だ。

 

 

 

 

だってその方が人生楽しそうだから。

 

 

 

 

 

そういう馬鹿やってる人の方が、

見ていて、話を聞いていて楽しいでしょう?

 

 

 

 

 

私は毎日がつまらないと

それだけで生きてること飽きてしまうので

じゃあ親が死んじゃったら死んでもいいやとか

軽く自分の終りについて考えてしまうので

 

 

 

 

 

こうして自滅行為に近いハイリスク人生を

歩んでいこうという所存なのであります。

 

 

 

 

 

 

 

まあでも

 

スケジュール管理能力だけは

どうにかこうにかちゃんとしようと思います。

 

そこがクズなのはどの世界でもダメそうだから。

 

 

 

 

 

 

…話が少し逸れてしまったけれども。

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、明日は卒業式。

(まだよく予定を理解してないけれども)

 

 

4年間の人生蛇行クズ大学生活に終止符を打つ時。

 

 

 

 

明日会うのが最後の人がいるかも知れない。

 

そうであれどうであれ、

 

一生に一度の、

絶対忘れることのない特別な日であることは確か。

 

 

 

 

 

 

だからこそ、

どんな天気だろうが顔面が破壊しようが

電車が遅延しようが靴擦れをしようが、

自分史上最高のテンションで

みんなに会いに行こうと思う。

 

 

 

 

 

そして、今までの感謝の気持ちと、

これからもずっとダチだぞっていう気持ちを

存分に伝えるんだ。

 

 

 

 

こんなんだけれども、

 

というか

 

こんなんだから、か。

 

 

 

 

 

 

だから私は、幸せです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくれた貴方、ありがとう。

 

物好きですね。

 

…もしかして暇人?

 

 

 

…もしかして私のこと、好き?

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだよ、素直になりなって♡

 

----------------------

 

 

はい。

 

本題に入ります。

 

前座長すぎてごめんなさい。

 

 

 

言語化することについて

悶々と考えてたことを

考えたままに、ポンポン浮かんだことを

まとまんないけどまとめてみる。

 

 

 

 

 

 

 

自分が普段何を思っているのか

そしてどんな行動をしているのか

 

 


だれにでもきっと

大切にしているナニカ

というものがあるはずで

 

 


それは良く言えば

その人の精神だのアイデンティティ

ちょっと悪く言えば

思考の癖

 

 

 

それについて

自覚のある人もいれば

無自覚の人もいる

 

 

私は無論、自覚のある人が好きだ。

そういう人の話を聞いたり

行動を見るのが楽しい。

 

そして何より

意味や意図のあるそれらは参考になるし、

ひとつひとつの意味が深いからこそ

刺激しか受けない。

 

だから私はそういう人と

積極的に絡んでいきたい。

 

 

 

因みに私は

前者であるように心がけている

 

 

 

 

なぜなら

鼻垂れ小僧だった頃から

大人に言論でコテンパンに捩じ伏せられ

不知の自覚を嫌でもする機会が多かったから。

 

そして

権力も実力もへったくれも無い

クソガキは勝手に問答法を編み出し

何も持たない人間でも持つことができる

この武器に磨きをかけまくってきたから。

 

散々鍛えられてきたと思う。

 

ソクラテスの存在を知ったのは、

その後のこと。

 

 

ソクラテスの思想に自分がハマる気は無いが、

共感できる部分が多かった。

 

全然好きじゃないけど。

端的に野暮な表現をするならば、せこいと思う。

個人的な意見として。

 

 

 

 

つまり私もせこい人間。

 

 

 

これは私の勝手な解釈だから、

皆がどう思っても、

私はそれに関してどうも思わないし

この解釈を強制しない。

だから、みんなも今の私の考え方に

矯正を働かせようとしないで欲しい。

頼む。

 

 

 

 

問答で賢いなあと思う人を探そうとしているのは

私も然り。

 

でも、不知の自覚をしたからとて

自分の方が知恵があるだなんて更々思わない。

 

私より知識や経験があって

不知の自覚がない人より

不知の自覚有りの私の方が優れているとか

その結論の繋ぎ目がどうも見えない。

 

 

 

相対する人と自分の知恵を比べて何になる?

何が生まれる?

 

 

 

不知の自覚を肯定し、

何も知らない自分の自尊心を高めるだけ。

 

 

 

 

不知の自覚をしたからこそ、

というかそれでもなお、

知識を、そして知恵を身につけていき

どんどん内面をデブにして行きたい、私は。

 

 

 

 

体脂肪率が3割越えていようが

内臓脂肪が4.0になっていようが

 

私はそれを言い訳に外見デブでも見栄を張るんだ。

 

「中身がしっかり詰まってんだよォ!」

って。

 

 

 

 

因みに私が本当に好きなのは孔子

 

 

 

 

 

 

 

不知の自覚をするにあたって、

そして問答をするにあたって、

 

それには自分自身の考え方や感じ方と

他人のそれとを理解しようとする必要がある。

 

 

 

 

その時に気づく。

 

私は何も知らない。

知識がない。

 

けど、思うことはある。

 

 

 

 

それはなんだ?

それはどうしてだ?

もやもやと形のない、体系化されてないそれを

どうすれば明確に自分の中で処理できる?

それを相手に伝えることができる?

 

 

 

 

 

 

無論、言語化しかない。

 

 

相手に伝えるためだけではない、

自分に対しても、考えに考え抜いて、

言葉を用いて説明できるようになれば

 

 

自ずと

自分のアイデンティティだの思考の癖だの

自分の行動様式を理解することになる。

 

 

 

 

 

その次に、

 

じゃあ相手はどうか?

 

について意識を向ける。

 

 

 

 

 

相手は何を知っている?

どんな知識をさげている?

 

何を思っている?

 

 

 

それはなんだ?

それはどうしてだ?

どうすれば明確にそれを

自分の中で処理できる?

相手から聞くことができる?

 

 

これも同じで、言語化しかない。

 

 

それについて考えに考え抜いて、

言葉を用いて説明できるようになれば

 

自ずと

相手のアイデンティティだの思考の癖だの

相手の行動様式を理解することになる。

 

 

 

そしてその手段のひとつが、問答である。

 

 

 

 

割と毎日、

息を吸って吐くように

問答はしているので

今更具体例をあげるのは正直難しい。

 

今までで印象的だった問答という名の

一悶着は、もしかしたら、というか

割と過去の投稿にあると思うので

 

(痛々しいので私は見返してない)

(つまり過去に何をほざいてたか覚えていない)

 

気になった物好きさんはそっちも見て欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は問答しまくったおかげで、

 

無駄に大人に振り回されながらも

下手に大人に思考や行動を侵食されることなく

情緒は不安定になりながらも

荒波に呑まれてた割には

意思をブラすことなくやって来れた気がしている。

 

 

それに、

そんな私を面白いと思って

近づいてくれる大人や頼りにしてくれる大人、

そして友達に巡り会うこともできた。

 

 

 

 

歳だけとった

貫禄のある中身スカスカの大人との関わりも

器用にこなせるようになった。

 

 

 

 

自分が関わりたい、関わるのを控えたい、

それぞれの人間の

分別をつけられるようになった。

 

 

 

そうすることで

無駄にストレスを感じたり

曲げるべきで無い自分の一部分を

無理矢理曲げることも減った。

 

曲げたように魅せるのが上手くなった。

 

 

 

 

 

 

例えば最近の話。

 

 

 

飲食店でのバイト終わりの出来事。

 

 

専務が私に愚痴ってきた。

 

「社員の〇〇君、本当に仕事の効率が悪くてさ、

ランチすごく大変だったんだよ」

 

 

「あー、なにがあったんですか?笑」

 

 

「あれをこうすればいいのに、

絶対やらないんだよね、言っても聞かないし」

 

 

「なるほど、、、」

 

 

 

専務の言っていることにはとても共感ができた。

私も常々それを感じている。

それは社員さんに対してもだし、

ほかのアルバイトの皆に対しても思っていた。

 

 

 

専務は従業員からの支持はめっぽう低いが、

地頭が良い人だ。

 

 

誇れるものではないが、

彼も私も曲がりなりにMARCH。

それ以上の学力の人は生憎周りには居ない。

大学偏差値で頭の良さを測るのは

必ずしも良いとは言えないが、

相関性はあると思う。

 

 

そんな私や専務が

「当たり前」だと思っていて

それを行動に移すだなんて容易いことであっても

周りがそう気づかなかったり

行動に移せないことも多々あるわけで。

 

 

そういった、

専務だからこそ話せることや

通じる話題も多く

主語とか過程飛ばしまくってても

会話のキャッチボールが出来て

それなりに尊敬もしていた。

 

 

 

そんな専務だからこそ

試しに質問を投げかけた。

 

 

 

「私もバイトでよく思うんですけど、

自分が出来て当たり前なことを

他人にとってはそうでもなくて。

 

それを理解してあげようにも

じゃあどうアプローチすれば

より効率の良い方法、質の良い方法、

私と専務が普段当たり前のように出来るそれを

そうじゃない相手と共有できるのか、

分からないんですよね。

 

専務はどうしてますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

専務 「……ううーん、どうだろう」

 

 

 

 

 

結局、専務は答えをくれなかった

 

 

 

 

私は「でしょうね」

そう思った。

予感が的中した。

 

 

そうですよね、

考えたことないですよね、

そりゃ詰まりますよね、

だから社員もバイトもついてこれないのでは

ないのでしょうか

 

 

勿論私も支持してない。

専務の犬にもなってない。ついて行く気はない。

専務のような大人になる気は無い。

 

 

お陰で専務とは

参考になる話は素直に聞きつつも

ひとつ、線引きはしようと心に決めた。

 

 

 

それでも表向きでは、

「やっぱ何事も根気ですよねえ!」

と気持ちよくフォローをする。

 

 

別に専務を傷つけたり

貶したい訳じゃなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が問答しまくってるのは

単なる負けず嫌い、だとか

自己に優生思想がある、という訳でなく。

 

 

ただ、ただ、

私を納得させて欲しくて。

 

今の私の

不知の自覚から生まれた

考え方や行動の誤りを

教えてほしかっただけであって。

 

間違っているのなら、

私を責めるのなら、

私が可笑しいのなら、

それを伝えて欲しいから。

 

それしてくれたら黙るし、

ちゃんとお利口さんになる気はある。

 

というか、利口になりたいからこうしている。

 

 

 

 

 

 

私をお利口さんにさせようと

精神すり減らしてくれたり

時間を割いてくれたり

世話を焼いてくれたりした方々には

とても感謝している。

 

他人にそこまで注力できる人、

ましてやとても面倒臭い人間を構う人って

今の時代そこまでいないと思う。

 

そんな人達に巡り会うことができて、

私は幸せです。

 

 

 

でも、好きではないです。

ごめんなさい。

 

この場を借りて言わせて頂きました。

 

私にパワーをいっぱいくれてありがとう。

 

 

…これから先、そんな人に一体

どれだけ出会うことができるのだろう。

 

(実は既に出会いかけていて嫌な予感しかしてない)

 

 

 

どれだけの人とプロレスをするのだろう。

 

ぼこぼこにされるのだろう。

 

 

プロレスをする中で、

私が心から尊敬する大人に

出会うことができるだろうか。

 

 

この人みたいになりたい

この人を越えたい

 

 

そう思う大人に出会えることを祈って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこれからも、言語化を試みる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の成長戦略

 

半年ぶりに、仲良かった先輩に会いました

 

 

 


「良い子になったね」って言われました

 

 

 


私は言いました

 

 

 

 

 


「体力なさすぎで、

図々しくする元気もないんです」

 

 

 

 

 

 

 


そしたら彼女に言われました

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「…てか痩せたよね??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうことです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近ずっと一緒に夜遊びしてくれる、

仲のいい後輩に言われました

 

 

 

 

 

 

「早く死にそうで怖いです」

 

 

「死なないでくださいね、それだけが心配です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうことみたいです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々に大学の友達と会った時のことです

 

 

 

 

「おひさじゃん」

 

 

「ね、お疲れ様」

 

 

「お疲れ様ってなに」

 

 

 

 

 

 

 

「何か、君には定期的に言いたくなるんだよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうことなんでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、私は幸せです

 

 

 

-----------------------

 

 

" 宿題にしてもですが

 

そういったことで手を抜いてしまうと

 

他のこともやっぱり

 

上手くできないと思うんです "

 

 

 

 

私の最近のお気に入りの言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

インスタのおすすめで出てきました。

 

即ブクマしました。

 

 

 

 

 

 

自分が今頑張ってることって

実はそんなに頑張る必要はなかったりだとか

本当にやるべきことが他にあるのが明確なとき

 

 

 

 

何やってんだ自分って悩むことも多かったけど

 

 

 

この言葉に救われました。

 

 

 

 

 

 

これ言ったの

TWICEのチェヨンなんですけど、

 

 

 

自分より若いのに、

自分より遥かにハードスケジュールな中

着実に結果を残していつもキラキラしてて

 

 

 

 

 

そんな人がこういう価値観だったんだなって

思うと、

 

 

 

 

自分はまだまだ頑張れるし、

というか頑張らなきゃだし、

自分の未来くらい自分が期待しなくてどーすんだ

 

 

 

 

 

ってかんじになるよな。

 

 

なったんだよな、私は。

 

 

 

 

自分の余白を埋め尽くしたい。

 

 

 

 

まじで、この言葉に、

めちゃくちゃ共感してて。

 

 

 

 

私の主生活がアルバイトなので(泣)

バイトの話しかできませんが、

約3年間の、濃-----いアルバイト生活で

いろんな人と出会ってきて、

いろんな人といろんな状況を共にしてきて

 

そんな偏りに偏りまくった

経験に基づき申し上げますと 

 

 

 

 

仕事頑張ってる子とか

頑張ろう!って意欲が見える子って

 

絶対他のことも頑張ってることが多いな

って思うんです。

 

 

ちゃんと目標とか好きなことが明確で

大学の勉強とか、それ以外も勿論。

 

 

基本が努力家だから、

場面が変わろうが自然と頑張っちゃうんでしょうね

馬鹿みたいに。

 

 

…ごめんなさい、口が悪かった。

 

 

とても褒めてます。

 

 

 

 

そゆひと、ほんと見てるだけで好き。

愛でたくなる。

応援したくなる。

助けたくなる。

 

 

というかそもそも、

そういう人は絶対に誰かの救いになってる。

 

大げさかもしれない。

 

けど、誰かの支えになっているのは確か。

 

だって、

私が現にそういう人に助けられているから。

 

 

 

 

逆に、

 

 

 

 

厳しいこというけど、

偉そうなこというけど、

 

 

どうでもいいようなこと、

めんどくさいこと、

頑張んなくていいことを頑張ってない

(ように見える)

人って、

 

 

自分の主軸になってる生活の中でも

 

(学生だったら勉強、社会人だったら仕事、みたいな)

 

なあなあに過ごしたり

フラフラして流れゆくままにみたいな

 

 

 

 

正直

 

見てて、行動を共にしてて、

たまにイラっとしたりとか

いらぬ迷惑を自覚なしにかけてきたりとか

 

一緒に居て、話をして、

つまんないなって思ったりとか

この人に自分の時間使わなくていいかなとか

 

フッ、こいつほんと何にも生産性ないな

 

 

 

他愛のない話で笑いながら、

そんなことを考えてたりも

 

 

 

 

 

 

しなくもなくもないかもしれないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一般論とか世間がどうのとかは全く知らないけど、

 

少なくとも、

私の周りはそういう傾向がある気がしますね。

 

 

 

 

今までの私は、そういった人にも

平等に接するよう意識してました。

 

だってそうじゃないと、

自分が嫌いな自分になってしまうと思ったから。

 

 

 

 

でも最近は特に心に余裕がなく、

前者のような人に使う力がないので

そういった友達の「断捨離」を始めました。

 

年末だしね。大掃除大事。

 

 

ヒエェ。

 

縁切れた各方面の誰かさん、ごめんなさい。

早くいいひと見つけてね。

この場を借りて、お詫び申し上げます。

 

 

 

 

ちなみにほんの数日前に、

後者のような人間だと

私が勝手にレッテルを張っていた

とあるアルバイト先の人は、

 

 

出勤して早々、

専務と対立しクビ宣告されてました。

 

 

私もその日出勤予定だったので、

「あいつ、LINEグループ退会してるやん...ソワソワ」

てな感じで出勤したら案の定彼がおらず、

 

 

 

専務が笑顔で

 

「オハヨウ!あいつ、さっきクビにしたから!

今日は4人だけだけど頑張ろうな!

ハッハッハッ!!!」

 

と、余裕をかましておられました。

 

 

一方で、人手が足らず

慌ただしく動いていた店長と社員さん。

 

 

ハハハッ。

 

 

話が前後しますが、

その彼がクビになる1週間程前に、

私が個人的に彼に

本気で注意したことがあったんです。

 

 

そしたら、なんて言われたと思います?

 

 

「「お前、きもいよ」」

 

 

 

 

 

 

そんなことがあったので、

彼と猛烈に会いたくなかった私。

 

 

念願かなって、彼が干され、

彼と会わずにすんだという喜び。

 

 

 

そして、この忙しい中

人手が足りない状況で働かなければという恐怖。

頼れるのは自分自身。

信じられるのは己のみ。

 

 

 

ぐちゃぐちゃになった感情は、

バイト終わりの煙草で

吐き出すしかありませんでした。

 

 

 

 

余談が過ぎました。すいません。

 

でも、そんな私の考え方や感受性は

間違っていなかったんだな、

 

そう確信できた良い機会でした。

 

 

\ありがとう、すべての人に感謝/

 

 

 

 

 

 

 

ここまでで約2000字。長すぎる。

ここまで読んでくれた人ありがとう。

 

 

 

ついに本題!!!!

 

「私の成長戦略」

 

 

私は先述したなかの、

前者のような人間になりたいんです。

そんな人間を貫き通したいんです。

 

 

そのためにすることはまずこれでしょ!

 

 

「自分が何を頑張りたいのか?」

「何で頑張るのか?」

 

時間をかけて、ちゃんと考えてみること。

 

 

 

 

それにもうすぐ今年が終わるし、

ここいらでちょっと、

 

今の私の将来の計画をこうして

ダラダラ書きながら整理していくんだ!

 

 

今回は、そんな記事です。

 

 

 

 

 

私が今、実現させたいことは3つあります。

 

1.法人を設立する!

2.自分の経験や思想を形にして、それで報酬を得る!

3.誰かの経験や思想を形にして、それで報酬を得る!

 

 

 

なんてガメツイ!

 

誰かの幸せのために~とかじゃないのかよ!!

 

 

勿論、根本の目的はそうですよ。

モチロン(ニチャァ)

 

 

私は、自分も含め、多くの人が、

それぞれ抱えている「理不尽」を極力無くしたい、

そう思っています。

 

あと、その「理不尽」を、

逆に自分の力に出来ないか、

それを糧に、バネにして、

自らを立て直し、強く生きていけるような、

その道標を示したり、支えになるような、

 

そういうことをしていきたいんです。

 

 

なぜなら私自身が、自分の人生で

「理不尽だ!」と思って解消できなかったこと、

どうしようもない環境で、

それで苦しんだことが大きかったからです。

 

それは私自身の問題でもそうだし、

それに、そんな友達をみてきたから。

 

 

くっさい言葉で表現するならば、

私の人生のテーマは

「理不尽からの脱却」

なんです。

 

物心ついてからそれしか考えてない。

それでもまだ抜け出せてない。

 

この沼にハマっているって、

言語化できるくらいに自覚できたのは

ほんと最近の話。

 

恐るべし沼。

 

 

早いとこ抜け出したいんだわ。

 

 

 

 

私が挙げた3つの実現させたいことは、

私なりの、その具現化です。

利己主義と利他主義がぐちゃぐちゃな。

 

 

 まず一つ目。

 

法人を設立したい。

 

経営者ってかっこいい。

「理事長」って書いてある名刺かっこいい。

領収書で美味しい焼肉が食べたい。

 

というのは冗談で!

 

ゼロから1を作ってみたいんです。

自分の力で何ができるか試したい。

 

あと、私を馬鹿にしてきた大人たちを

驚かせたい()

 

 

 

 

そのためにやるべきこと。

 

1.貯金(当たり前)

2.経営の知識(当たり前)

3.なにで起業したいかの構想を膨らませる

 

けどそれ以前の話。

 

4.社会福祉士の資格を今年とる

(これはまじでやばい本気で)

(今こんな記事かいている私は阿保)

 

5.職場で人の3倍経験を積む

 

自分に武器がなきゃ起業したくない。

けど若くて熱量と体力があるうちに

法人を建てたい。

 

 

から絶対、職場で飛びぬける。

 

そのためにまず私は、

内定先にお願いして

11月からバイトをさせてもらっています。

 

4月からよーいドン、ってもう遅い。

4月まで待つ理由はどこにあるのか。

 

 

んで

 

毎回記録も書かせてもらって、

お話もさせてもらって、

いっぱいやらかして怒られて()

 

....この話は、機会があるときに(笑)

 

 

 

 

あと、濃い経験を積むための対策その2

 

いろんな部署をはしごする。

 

 

最終面接で私は

「ずっとここでは働きたくない」

と言いました。

 

受けたところは、

一部の事業しかやってないんですけど

 

私は全事業を経験したいから、

他の姉妹グループにも異動させてもらえないか

質問したところ、快諾してもらえました。

 

だから絶対にそうさせて頂きます。

(迫真)

 

今思うとスゲエ。

 

 

私は1つの分野に絞らず、

全ての分野を経験することで

1つを貫くよりも新しい発想を

得るほうが良いと現状思ってます。

 

なぜなら、

一つを貫くと盲目になるから。

当たり前の恐怖とか。

 

それに、私の職種は

全てに確実な碇石なんてないから。

理論は学校で学ばされるのに、

理論にあてはめるのはよくないという

とても面白みのあるヤツみたいで。

 

そんな機械的なもんじゃないから、

盲目になること、知識が偏ることによる

危険性が大きいと思うんです。

それよりも、

それなりに中身があって、

それ以上に多角的に見ることができて

色々な知識の引き出しがあるほうが

それに加えて洞察力があれば

それに越したことはないと思うんです。

 

 

ごめんなさい、

内定先を濁しているから

うまく伝えられないけど、

全然説得力ないけど

察してください()

 

 

いつかどこかで、

このことについて早いとこ語りたい泣

 

 

 

まあだから、

最終的にはフリーになるみたいな

風に、偉い人には思われています(笑)

 

 

 

 

....ほんとは私、

起業したい大枠は決まってて。

何をするか?はまだふわふわだけど

誰のために、と、

その人たちのために、これはしない!

ってのは決めてて。

 

(変わるかもだけど)

 

 

 

で、これ超面白いんですけど

(自分でハードル上げるスタイル)

 

 

 

私ほんとは就職先のアンチなんです。

アンチだからこそ、一度そこで専門的な経験積んで、

ただのアンチから最強のアンチになる計画で。

 

それを基に私なりの答えを、

起業という形で表現したいんです。

 

 

 

 

....いや、就職先の必要性は重々承知なんです。

 

でも、本当の意味でそれは相手方の為になってる?

なってなくない?

自己満な部分も多いんじゃないの?

 

そんな要素も多いなって思うんです。

だから私はそこの弱点を洗いざらい発見して

いっぱい経験を積んで

自分なりに、理想の仕組みを作りたいんです。

 

そのための修行。

 

 

私がそこに対して抱いていたとある疑問があって。

何回かシフトに入っても納得がいかなくて。

 

職員さんに聞いたんです。

 

 

でも。

 

 

 

 

結局、分からなくて。

 

挙句職員さんには

「私には答えられないから、考える時間をください」

「ぜひ、他の職員にも聞いてみて、そして教えて?」

 

そういわれました。

 

 

 

果たして、納得のいく答えは聞けるのでしょうか。

それとも私自身で見つけるのでしょうか。

 

それとも、

見つからなくて、やっぱりそのやり方は違うんだと

アンチをより確信的なものにするのでしょうか。

 

 

あー!!!

タノシミスギイ!!!

 

 

6.JC(青年会議所)に入る

(人脈づくり・経験↑)

 

ありがたいことに、

今働いているバ先でJCの方々と

仲良くさせてもらっている。

(ほんとはしたくないけど)

(厭々活動に参加してきた結晶)

 

だからコネでそこのJCでホイホイするか、

内定先のJCに入るんだ。

 

 

仕事に慣れてきたら。

2年目には絶対入ろう。

 

パイプはいくつあっても足りないからね。

 

 

その準備運動じゃないけど、

私はまず

良くしてくれてるJCの人間と

ツーリングに行き、

入会もしていないのに

JCの決起集会に参加する予定です。

気持ちは接待。

実際接待。

 

こねこねつくるぞオ♡

 

ここで余談。

 

〈とあるバイト中の出来事〉

 

J「みのりちゃあん、僕バイク買っちゃった」

私「へえ!いいですね!何買ったんすか?」

J「ばんばん」

私「あ!スズキのですよね!」

J「でもまだ免許とってない、あとちょっとで取れるけど」

私「流石です!!!!」

」「だから、ツーリング行こうね」

私「え、寒くないですか…?」

J「いけるよ」

私「ですよね!!!」

(絶対に行くもんか!)

 

数日後

J「バイク同好会メンバー紹介するよ!」

私「あ、はじめましてエ...」

J「あと○○君と、○○君もバイク乗るから、みんなで行こう」

私(嫌すぎて泣きそう)

 

数日後

J「みのりちゃん!ひさしぶり!」

接待に来た姉妹店の女達(以下、女)

「ヒソッ...(だれだよみたいなかんじ)」

私「ドウモデスーー」

J「みのりちゃんはねー、バイク乗ってるんだよ!」

女「へーえ!そうなんですか!(興味なさそう)」

J「俺たち、ツーリング同好会だもんな!」

私「ッハハハハハh」

女「...」(絶対にこちらを見てこない)

 

以降、

 

女達は、弱そうなうちのバイトの子らには

「かわいい~何ちゃんっていうのオ??」

「××ちゃーん、ドリンクちょおだーい!」

「ありがとーーう!!」

 

一方私に対して

私「お伺いしまーす」

女「ヒソヒソ...(名前なんだっけあいつ)」

J「みのりちゃんだよお~う(潰れかけ)」

女「あの、これ、おなじやつね、はい」

私「はい!お持ちします!(天使の笑顔)」

私「あ!○○さん!グラス空ですけど、新しいの持ってきます?」

(渾身のカウンター攻撃)

J「流石だねエ、仕事できるなあ、ねエ、JCはいろ?」

女「....(バツがわるそうなお顔)」

 

肉食女子の世界は厳しいですね。

 

好かれるために必死で、

醜くなろうが成り下がろうが、

お構いなしに陰湿な蹴落としあい。

同族嫌悪。

草食女子は自分に危害を与えないので

よしよしする。

 

 

私は時給も顔面偏差値も賢さも性格の下衆さも

おじさんからの好感度もすべて

彼女らより高い自信があったので

品良く、けちらしてきました。

 

スッキリ!

 

 

余談その2

 

(とあるバイト中の出来事)

 

J「みのりちゃん、決起集会来てよ」

私「えと、いつですか」

J「1月○日」

私「へーえ!そうなんですね!(イカネエ)」

J「じゃなくて。来て??」

私「....でも帰省してるかモ....」

J「いやいや、帰ってきて。価値あるよ」

私「頑張って予定合わせますね!(嘘)」

偉い人に好かれるため頑張ってることに

定評のある年下のバイトちゃん

バ「私!JCの活動に関心があって!」

J私(急に来るじゃん)

J「そうなんだね、いいことだ!」

私(今だ!こいつを身代わりに逃げよう!)

バ「だから、ボランティア誘ってください!」

J「もちろんだよ!....あれ、みのりちゃん消えたな」

バ「私とお話ししましょうよ」

傍観している私

と、他の年下バイトちゃん

「....健気ですね」

「あいつを決起集会誘えばいいのに」

「誘わなそう」

「そんなこと言うなよ」

「顔見てれば分かります」

「....確かに」

 

帰り際のJ

「みのりちゃん!決起集会で待ってるね!」

私「....(笑顔で会釈で流す)」

見送るバイトちゃん

「私もボランティア誘ってくださいね!」

私ともうひとり

「アリガトウゴザイマースマタオネガイシマース」

 

その後、何度も

私とボランティアちゃんが

何度もパチッたとかなんとか。

 

....思い出すだけ無駄だったわ。

 

 

他のバイト曰く、

その子も私をライバル視しているみたいでした。

 

事例挙げたいけどだるいからやめます。

 

おかげで変な誤解とすれ違いがあったり

シフト編成にも支障がでたり

色々疲弊しまくりで悲しいです病みそう。

 

....そう言っている奴ほど病まないって

私は知っている。

 

 

 

上京してから猶更、

私は決して獲物を横取りする気ないのに

むしろ自分からその土俵降りようとしてるのに

それでも私を消そうとする

とげとげしい女が多い気がします。

 

そう感じるの、私の

自意識過剰であることを願うけども。

 

まあそれはそれで面白いので

全員華麗にバッサバッサしていこうと思います。

 

 

女という武器を捨てて、

自分の思考力と行動力のみで。

 

 

余談おしまいーーーーーー。

下衆さムンムンでお送り致しました。

 

 

 

 

....幻滅した?

 

 

 

 

 

 

 

どんまい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二つ目三つ目はまとめて!!!

 

 

とにかく、

「経験を作品にすることで生まれる価値」

に興味があって。

 

 

それが、人が苦しんだ経験であればあるほど

跳ねると思うんです。皮肉にも。

 

 

 

嫌な暗い話をそのまま押し込めたり、

引きづるのはもったいない。

 

どうせならプラスに変えたい。

 

 

私は絵をかいたり、

物語を考えるのが好きです、実は。

 

 

だからまずは実体験を作品にし、

自分自身の感情の昇華、

考え方の整理、

あわよくば誰かの何かのきっかけづくりに

なれたらなと。

 

べたな不幸体験はしてないけど、

私は馬鹿で生きるのが下手なので

自分から不幸逆行ルート選んできた

ような気がしているので。

 

 

それを自分の脳内に収めているのは

もったいないって

私の脳みそが言っている....!

 

 

 

 

 

それが少しずつ大きくなって、

見てくれる人が増えたら。

 

そしたら、

誰かの体験談にシフトして。

その人の感情の昇華や、

誰かのなにかのきっかけづくりに

貢献したい。

 

中学生時代、

私のあだ名の一つで

「スピーカー」てのがあったんです。

なぜなら内緒話をすぐ広めたり

当時声が馬鹿でかかったから。

 

その時はそう呼ばれるのは

屈辱的すぎて嫌だったけど、

今はそれを前向きにとらえてます。

 

誰かの代わりに大きく声を上げることで

伝わるべき人に伝わる何かを増やしたい。

 

スピーカーってそもそもそういうもの。

 

だから、2月7日の国家試験が終わったら即、

Twitterや諸SNSを使って発信していきます。

 

それまでは試験勉強。

 

(ほんとは今すぐやりたい)

 

 

 

経営者にもなりたいけど、

専門職の自分でもありたいし、

ルポライターにもなりたい。

 

欲張り。

 

 

 

 

 

あとは、

保育士の資格だったり、

介護福祉士の資格、精神保健福祉士

児童福祉士、社会福祉主事

中小企業診断士とかの資格も

状況に応じて目指していく。

 

全ては自分の市場価値を上げるため。

 

 

 

 

 

 

....これって、成長戦略って言わなくない?

 

書いていて思った。

 

 

まあ大目に見てください。

 

晦日だしね、慌てて書いているんです()

 

 

こんなつたない、気が向くままの駄文に

最後まで付き合ってくれてありがとうございます。

 

 

みなさんへ

 

今年も一年お疲れさま。

頑張って生きてて偉い。

来年もよろしくね。

 

いい夢見ろよ。

嫌う勇気

 

ここ1年くらい、

歯ぎしりや食いしばりがやばいです

 


なので

朝起きたら大きく口を開けるようにしてます

 


というか気づいた時にやってます

 


そうしないと顎が開かなくなるんです

 


ゴキゴキって顎の骨を鳴らすんです

ピキンって鳴った時は、

今日はいい事ありそうだなって

そう思うようにしています

 

 

 

 


この前、医学部に通う友達に話しました

 


「私、顎関節症予備軍なんだよね」

って

 

 

 

 


彼女に言われました

 


「それもう顎関節症で診断下りるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

あは

 

 

 

 

 


最近は

寝起きにタバコを2本連続で吸うようにしてます

 

 


気持ち悪くなったら

あ、今日は体調悪いな

 

 

 


別になんともなかったら

あ、今日は調子がいいな

 

 

 

 


そうやって、

健康チェックを欠かさず行っております

 

 

 

 

 

 

飲食の方のバイト終わりには、

心の健康を守るため

駐輪場まで行くまでに

2箇所、喫煙所によります

 

 

 


駐輪場まで10分で行けちゃう距離ですが、

こんなんなので余裕で20分くらいかかります

 

 

 


あと、飲食のバイトが嫌すぎて、

その前にヤニチャージすることが増えました

 

 

 

 

 


そしたら頭がフワフワするんです

なんも考えずバイトに臨めるんです

 

 

でも胃が痛くなるんです

食欲がなくなるんです

 

 

 

 

 


この前慢性膵炎で入院したバイト先の店長も、

胃が痛くて病院にかかったそうです

それで発覚したそうです

 

 

 

 


私は酒は飲めないからまだマシだけど、

近い将来、店長みたいになりそうだなって

 

 

 

 

 

 

 


あはあは

 

 

 

 

 

 


咳がとまらなくて、

ダスモックを飲んでる時期もありました

 


胸部を動かす運動をすると、

勝手に肺がヒューヒュー言う時期もありました

 

 

 

 


例の医学部友達に言われました

 

 

 

 

 

 

 


「それ、COPDになんじゃん????」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、私は幸せです

 

 

 

 

-----------------------

 

 


私はとてつもないクズですが

何故か優しい友達がいっぱいいます

有難いことに

 

 

 

 


寂しい時に付き合ってくれる人や

悩み聞いてくれたり

お祝いしてくれたり

心配してくれたり

一緒に遊んでくれたり

悲しい時に慰めてくれる人たち

 

 

 

 


毎日毎日

嫌なこと疲れることで

いっぱいいっぱいですが

その人たちのおかげで

それでも元気でした

 

何とか生きてました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


でも流石に

 

 

 

 

 

 

 

 

流石に疲れてしまいまして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原因は主に飲食のバイトなのですが

 

 

売上伸ばすためランチをはじめ

そのため開け作業が閉め作業時にすることになり

遅番の負担が異常に増え、

でも深夜手当がなくなり

時間関係なく一律の遅番手当制度が導入され

ただでさえ人員ギリなのに

店長は一ヶ月の入院生活は確定

 

 

 

それでもって私は

 

全く望んでない無理な連勤

重なる遅番、つまり重労働

ヘルプで緊急招集

欠員状態だろが意地でも回す

 

 

 

 

 

それに対し、そんな状況下で

協力する意思(協力したしないは別として)

があまりみられない他のバイトさんたち

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心がぽきって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何で私こんな無理してんだろって。

 

 

その間、他のバイトは何をしてるんだろうって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何を楽しんでいるの??

 

何を頑張っているの??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私にもちょうだいよ、その時間を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイトに出られない位、

何かを頑張ってるのだとしても、

 

 

 

 

正直、私は誰よりも遥かに

本気で頑張っている自信がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飲食のバイトも、内定先のバイトも、

友達との遊びだって。

 

 

 

 

 

 

バカそうに見えるけど、

バカなことばっかりしてるけど、

ちゃんとそれぞれ頑張りたい理由とか

なりたいビジョンはバカなりに持っているんで。

 

 

 

語ってって言われれば語れる。

 

 

でもみんな興味ないだろうから言わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイトの子みんながみんな、

無理に出勤して連勤してくれて

遊びだの試験勉強だの時間調整してくれて

互いに尊重して感謝し合って、

肩を持ち合って、

時には頼って、時には格好つけちゃったり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな風に、

私の目に映っていたのであれば

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな思考にはならなかったんだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分が辛いのは環境のせいだ」

 

みたいな他力本願的なクソダサな思考に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな私のクソダサ思考。

ただの不満嘔吐。

見てて不快になるかもしれないですが。 

 

これでも気持ちばかり、

オブラートに包みましたので。

 

 

 

 

物好きな方は、どうぞ、

スクロールしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づいたら、

私が出勤してるのが当たり前になってました。

 

 

 

 

 

 

他の人が予定調整してヘルプで出勤した時とか、

予定より長い時間勤務してくれたりした時は、

ありがとうね、優しいなあ、流石、

みたいな雰囲気にはなるのに。

 

 

 

 

 

 

 

私は特にそんなんないし。

 

 

 

 

 

 

 

私だって、

予定調整してるし。

 

 

 

 

 

 

というか、有り難く思われてるそれ、

私は常にしてることなんですけども。

 

 

 

 

周りにはその素振りをあんまり見せないだけで。

 

 

 

 

 

 

 

 

見せつけないと気づいてくれないのが

そもそも寂しいことだけど、

ふつう、人間ってそういうもんだよね。

 

 

 

 

 

優しさも当たり前になっちゃえば

感謝されなくなるってのも

そもそも寂しいことだけど、

これが、人間ってことだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜まで遊ぶ予定だった友達に、

ごめんねお願いー!って無理言って

早く切り上げて夕方までにしてもらうのは

よくあることだし

 

 

 

 

 

 

 

わざわざテスト対策の期間とか

勉強時間設けるためにバイトなんか休まないし。

 

 

 

 

 

てかバイトの予定入れてから他の予定詰めてるし。

 

 

 

 

 

社福の試験だって笑えないくらい迫ってきてるし、

何なら内定先でも毎回記録書いて

先輩とその日の振り返りして、

 

要はバイトという名の

職員生活を送っている訳であって。

 

 

 

 

 

 

社福の試験なんて、まじで受からないとヤバいし。

内定先での給料に響くし、

そもそも専門職枠採用なんで。

 

 

 

 

 

だから、みんなが

勉強だの学校だの遊びだの

そういう理由で、

今わたしが苦しい思いをしてるのであれば、

 

 

 

 

 

いつでも私もみんなと同じことが出来るわけで。

 

欠員だろうがその日の出勤の子を見捨てて

バイト貢献しないし、

出勤してもクソテキトーにやるし

めんどい仕事や苦手な仕事は避けてやらない

困ってる子がいても大変そうな子がいても

絶対に手伝ってやらないし見守ってもあげない

自分で何とかしてみせろって感じ

暇な時の水回りの掃除だってやらない

 

 

 

 

何なら連絡ブッチしてバイトから逃げてやる

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、

私はそういう人間になりたくないし、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がなりたい人間は、

 

自分が頑張りたいことは勿論、

頑張りたくなくても必要とされてる場であるのなら

妥協せずに努力を重ねて結果を出していける

 

となりに誰がいようが

誰もいまいが

キラキラ輝く人になりたくて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもやっぱり、

自分の思考とか実力とか

まだまだ未熟すぎて

 

 

 

 

 

 

目指す中で生まれる不満を、

うまく解消できないのです。

 

 

 

 

 

バイト先でここ最近でほんと

色々あって、体制もどんどん変わって変わって

大変なことがわんさか増えて。

 

 

 

どうしても、溜めてしまうのです。

 

 

 

 

 

ごめんなさい、

見ていていい気分がしないような

嫌な文章ばっかつらつらしちゃったけど、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誤解しないでほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、

バイトが好きで、バイトのみんなが好きなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

バイトのおかげで自分に何かいいことあったか

 

 

と聞かれると全くないですが、

 

 

寧ろ悪いことばかり

犠牲ばっかり

寿命縮まってる

 

 

と、自信をもって断言できますが

 

 

 

 

 

バイトにいる人たちはみんな、

良い人たちなんです。

 

ほんとに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから現状、

あんまり自分にとって良くない状況が続いて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

バイトのみんなを嫌いになりそうでこわいんです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それができたら、

こんなバイトさっさとやめて、

ほんとに頑張りたいこと

今こそ頑張るべきこと

に集中できるし、

 

 

それに、今より心が楽になって

顎関節症COPDもマシになるだろうし

 

 

 

不幸慣れしすぎてて

幸せで平凡なストレスフリーな日常が

逆に落ち着かない

 

 

みたいな変なビョーキもマシになるだろうに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その、勇気がないんです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫌う」という勇気が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すいません、

やっと今回のテーマに触れました

 

お待たせしました

 

 

 

 

 

 

 

最近、「嫌う勇気」

 

について悶々と考えることが多いんです、私

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は過去の投稿にも幾つか載せてたと思うんですが

 

色々もめごとがある人生送りがちみたいで

 

嫌われることには慣れてます

 

 

 

 

 

 

 

最近はナルシストみが酷く、

 

私のこと嫌いになる人はろくでもねえ奴だ

 

みたいに思っちゃってます

 

 

 

そのくらい、自分が嫌われることとか

どーでもいいです

 

 

 

 

 

 

 

どっかの本でありましたよね、

アドラーでしたっけ?

『嫌われる勇気』

 

 

あれ、ちゃんと読んだことないですが、

その本が好きな男性が昔知り合いで居ました

 

 

 

その男性に私は過去に、

散々振り回された挙句

理に適ってないエゴ満載の持論に対して

ロジハラをしたら

思考回路不明なんですが

バイト中にお怒りになって

(きっと何も言い返せないから発火したんでしょうね)

胸ぐら掴まれだことがあるので

 

 

彼のことは嫌いです

ありがとう、嫌いな人

あなただけはほんと嫌いです

 

 

でも、ほんとに嫌いな人は

その男とか、

ほんと限られた人しかいなくて

 

 

 

誰かを嫌いになるのがこわいんです

 

 

 

 

少し前に、

バイト関係ではなくて

人を嫌いになりそうになった時があります

 

相談した子は皆口を揃えて、

「それは私だったらもうアウトだわ」

「よく友達続けてるね」

なんて言われるくらいに

個人的に嫌な思いをしました

 

 

 

でも、嫌いになりたくなくて、

自分から距離を置くことにしました

 

 

 

この度久々に、

それで同じようなことをしました

 

それがさっきまでウジウジ言ってた、

アルバイトの件です

 

 

 

つい先日、

私はバイトのグループLINEを

唐突に退会しましたが

 

それで何人かからほにゃほにゃ言われましたが

 

 

 

 

 

 

それは別にみんなが嫌いになったとかじゃなくて

 

みんなを嫌いになりたくないからです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直接それをみんなに言うのは怠いから

言わないけど

知りたい人が知れるように

 

そして何も知らない人なら

見られても構わないから

 

ここに記します。

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かを嫌いになるって、

こわくないですか?

 

 

 

 

思ったことないですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、

誰かを嫌いになるって、

私自身の器量や度量によるものだと思うんです

 

 

 

器量や度量がよければ

些細なことで気になることはないし

嫌なこともプラスに捉えられる

負担になることでも請け負える

 

つまり、他人を嫌うきっかけって

なかなかないと思うんですよね

 

 

 

実際私を嫌ってた人は

私から見れば、

頭でっかちだったり

プライドだけが高かったり、

嫉妬や羨望とか復讐とか

器量や度量がある人には当てはまらない要素が

てんこ盛り、そう映りました

 

 

 

だからこそ私は、

嫌われることとかそんな

意味があることだと思ってないし、

間に受けるだけバカバカしい派なので

恐怖心はあんまりないです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分以外の存在を、

「絶対悪」って決めつけるのって、

気が楽になるじゃないですか

 

 

自分は正しいんだ!って思えるし

それ以上深く何も悩まなくて良いから

 

 

 

 

 

そうして生きていったほうが、

自己満足度ナンバーワンの

ハッピーライフになるんじゃないかと

そう思うんですよね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもそのジャッジを下す時、

自分の器量や度量が試されてる気がして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私にはできない

 

 

 

 

 

 

 

実際、

自分がもっと工夫してたら

こんな嫌な気持ちにはならなかっただろうなとか、

 

自分の器量や度量がクソだから、

今他人を嫌いそうだなって

 

 

振り返るとそういうことがあるんです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほしいなあ、「嫌う勇気」

 

 

 

当分無理そうなので、

私は自分自身もっと

 

つおいにんげん

 

に、なろうかなって、そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな夜こそ、

 

SUPER BEAVERの「人として」

 

を聴こうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かっこよく生きられたことがないけれど

 

 

人として

 

 

かっこよく生きてみたいから。

 

 

 

 

 

 

 

共に笑うために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わざわざこの記事を見つけてくれて、

この記事を読むことに

時間を割いてくれた

 

そこのあなた

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒に聴こうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.

嫌いにはなってないけれど、

嫌いになりそうな方々へ。

 

 

 

 

 

 

 

あなたのことは好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、距離を置かせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

申し訳ないとか自分が悪いとか思わないで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、こんな私に対して優しい言葉とか

かけないで欲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうやって、

私が勝手にあなたに期待して、

あなたに勝手に失望して、

あなたを勝手に嫌いにはなりたくないんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が欲しいのは、

優しい言葉よりも、褒め言葉よりも、

労いの言葉よりも、心配の言葉よりも、

 

 

 

 

一緒に頑張る仲間

 

 

 

 

 

です。

 

 

 

 

 

私のほんとの大変さとか苦しさとか、

葛藤、プレッシャー、実際知らないくせに

偉そうなこと言わないでください。

 

 

 

 

 

あなた自身私のそれが出来ないのであれば、

易々とそれを口にしないでください。

 

 

 

 

 

 

 

心からの言葉であろうとそうでなかろうと、

今の自分には言葉ありきでは

何も感じなくなってしまいました。

 

 

 

 

口先の幻想はもう魅せないでください。

苦しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にもう一度言っておきます。

 

 

 

嫌いにはなりません。

 

 

 

好きなのでそんな気にしないでください。

 

 

 

 

 

ただ、期待することをやめました。

それだけは忘れないで欲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

想像力のあるひとだったら、

 

私の言いたいことが分かるんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友達のカタチって、

 

 

いろいろあってもいいじゃない。

 

 

 

 

ねえ?

 

 

目元しか見えない

 

あんなに喚いていた就活も(ほぼ)終わり、

なんでもやりたい自分ではあったけれども

自分の将来、腹括って、

まずひとつに絞って。

 

 

 

 

退屈で面倒臭くて、辛かった日々とはサヨナラし、

昔のように再び社畜生活を送るようになった最近。

 

 

 

 

就活しはじめてから後輩に押し付けていたシフト作成も、しゃあなしで引き継いだ。

 

専務や店長、社員の休日希望日を聞き、

他のバイトの皆の出勤不可日を聞き、

エクセルにまとめるただのバイト。

それが私。

 

 

 

 

専務が嫌いなAくん、Bくん、CちゃんにDちゃん。

専務も彼らを嫌っている。

電話対応と客案内ができないEちゃん。

全体的に仕事ができないFちゃん。

オールマイティなGちゃん、Hちゃん。

社員が苦手なIちゃん。

 

…。

 

色んな要望と相性を踏まえ頭を抱えながら、

出来るだけ平等に、

ベストな編成を心がけている。

 

そしてたまに、

「絶対このメンツじゃ回らないだろうな」

というのもぶっこむ。

 

「苦しめ!このやろう!修行じゃオラァ」

そんな感じで。

私のストレス発散にもなるし。

 

 

 

だから、

「お前(社員)がやれや」

なんて、これっぽちも思っていない。

 

「追加分の給料くれや」

なんて、そんな発想すらない。

 

超性格が良くて聖母的存在である私が、

そんなこと!そんなこと!

口が裂けても…!!!!!

 

 

 

…はい。

 

 

 

 

この前、店長に

「暇ならランチからバイトしない?」

「ランチ用のバイトシフトもつくって?」

と言われた。

 

 

 

コ⚪︎ナのせいだ。

コ⚪︎ナがなければランチ営業しなかったのに。

ランチ営業で成功しなければ、

バイトを入れないで社員だけで回すはずだったのに。

 

 

社蓄度が増す。まっしぐら。

事務職とホールの二刀流の女になるんだ私は。

…くそ。

 

 

 

嘆いてる癖に、

この前私は暇すぎて接客マニュアルを勝手に作成した。

もはや自分から社蓄になりに行ってる。

志願兵。神風特攻隊。いやそれは盛りすぎ。

 

そんな自分もムカつく。

…くそ。

何考えてんだよ。

 

 

 

 

 

どうしよう。

前座のつもりが、長くなってしまった。

最近の私のブログは前座が長くなりがちだ。

 

 

 

愚痴ばかりに話が逸れてしまったけれど、

これから言いたいことは

 

最近社蓄のペースが戻ってきて、

それから新たに気づいたこと。

 

 

コロナとマスクと、接客について。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

私はこの焼肉屋

雨の日も、風の日も、台風直下、嵐でも、

糞暑くてかんかん照りの日でも、

糞寒くて雪の降る日でも、

年末年始だろうがお盆だろうが、

地元で同窓会があろうが、

プライベートを(泣きながら)蹴ってでも

生命を削り捧げてきた。

 

(大袈裟)

 

だから、接客には自信があった。

 

細かいことは昔のブログにあるので、

よかったらどうぞ。

 

 

 

 

なのに、最近また本腰入れてバイトに入ってから

どうも接客に違和感があった。

あんまり手応えないなあ、みたいな。

お客さんと自分の間に、

今まで感じたことのない隔たりを感じた。

 

 

なんでだろう?と思った。

 

 

 

 

 

そうだ、マスクだ。

 

 

 

 

 

 

コロナがこわいからお客さんは、

あんまり他人と関わりたくないだけのかもだけど。

 

それだけじゃなくて。

 

 

自分が接客で今まで手応えがあったのは、

相手に表情が見えていたからなのだろうと思った。

 

 

それほど、

他人とコミュニケーションを取るには

表情が大事なんじゃないかと。

 

 

表情という情報が相手にも伝わる状況でなら、

たとえ言動や行動が少しキツくたって

表情でカバー出来る。

 

けど、目元しか相手にも見えない分、

感情表現をそれ以外の部分で大袈裟にやらないと

相手に自分が伝えたい感情を伝えきれられない。

 

それに、

案外目って感情表現がしづらい。

営業スマイルは、マスクをしてればただの真顔。

眠い時は、マスクをしてれば不機嫌に見える。

 

目を細めるか見開くか、

眉毛を動かすことしかできない。

それにそれだけじゃ感情が相手に分かりづらい。

 

 

漫画みたいに目の表現が豊かだったら良いのにね。

目ん玉の中がハートになったりしないかな。

 

 

 

まあ、そんなことを悶々と感じた。

 

やりづらいな、やだな、マスク外したいな。

でも外せないし。

 

 

 

 

 

でもしょうがない。

そればっかりは変えられない。

 

 

 

プラスに考えよう。

 

…。

 

 

マスクしての接客でひとつその場を盛り上げられたら、

それってまじ最強じゃね???

そしたら私キャバ嬢に転身できんじゃね???

(できない)(そもそも酒が飲めない)

 

 

 

これも一興だわ、そうだそうだ。

 

 

 

 

 

バイトがマンネリ化してきた自分にとって、

また頑張る理由がひとつできた。

 

 

 

 

 

 

それからというもの、

私は出勤するたびいくつか意識してやってる事がある。

 

 

ひとつ、声を気持ち高くする。

 

ふたつ、相槌を意識する。

 

みっつ、笑うときにアハハって言う。

 

よっつ、話すときはしゃがんで上目遣いにする。

 

 

 

 

 

まだ目に見えた結果は出ていない。

 

そして、かなりしょうもない(笑)

 

 

 

 

 

 

でもやるんだ。

そしてお客さんにホイホイされて、

また時給を上げてもらうんだ。

系列初の1200円代に私がなるんだ。

 

 

 

 

 

キャバ嬢になるために()

 

 

じゃなくて。

 

 

 

顔面というわっかりやすい情報を

極力自分から無くしたとしても、

相手に「この人素敵だな」

そう思ってもらえるくらい、

目に見えないものを磨いて

キラキラな私になるために。

 

 

 

 

 

ありがとう、コロナ。

ありがとう、マスク。

 

 

私は君たちのおかげで

少しはマシな女になれるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020.11.9 追記

 

 

おかげさまで時給1200円超えた

 

流石私だよね

 

這い上がるブス

 

女は顔。

 

しょうがない。

 

女の私が言うことだから、間違いない。

 

どんなに優れていても、

実力で功名する人間はまだまだ少ない。

 

女性役員の割合。

女性幹部の割合。

 

就活してて、それら半分を超える企業は殆ど見たことがない。

 

営業は男の仕事なんだと、

どっかの人事や就活仲間から耳にタコができるくらい聞いた。

 

交渉ごとは女だと不利なのだと。

 

事実、男女格差の指数がG7の中で一番悪い。

 

むかつくけど、しょうがない。

 

それが今の日本。

 

 

 

そのくせ、

他先進国とくらべ少女信仰が強い日本。

 

日本のアニメや漫画は特に分かりやすい。

 

可愛い少女ばっか。

ウホウホする男性陣。

 

欧米諸国は日本ほど、

少女を主人公にした物語は少ないことはご存知だろうか。

 

昔学校の教科書かなんかで、そういった小論文を読んだ。

 

外国は、成人してない子どもを主人公にすることに抵抗があるらしい。

 

確か、キリスト教だか宗教的な問題で。

 

 

忘れた。嘘かも知れない。

 

 

学校でそれを読んだのは確かだから、

もし心当たりある人はその本を教えて欲しい。

 

 

そこら辺意味分からんくてムカつくから、

卒論のテーマを

 

ロリコン文化と男尊女卑社会の日本における歴史的観点からの分析とその考察」

 

にしようかと思ったけどやめた。

 

 

 

…ごめんなさい。

 

話がだいぶ逸れました。

私怨の暴走。

 

 

 

 

兎に角、まだまだ女性の地位が低い中で

どう足掻いていくか、上へ登るか。

 

それには、

顔面の良さと言うジョーカーが必要ということ。

 

 

むかつくけどしょうがない。

社会がそう言っている。

一人間が社会に歯向かっても歯が立たない。

郷に入ったら郷に従う。

そこで上手くやっていく。

上手くやる中で、最後にジョーカーを使って、

4枚カードを出して、下克上をしたい。

大富豪のように。

女性というブランドを掲げて。

 

 

「美人にならなきゃ生きづらい」

 

そう思ったとあるブスは

これまで足掻いてきた。

 

 

そしてこれからも。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「お姉さん、可愛いね!」

「彼氏とか、いるの?」

「〇〇に似てるね」

「綺麗だね」

 

 

心に刺さりもしない、

だから何?で?

そんな言葉。

 

「はは、ありがとうございます」

 

超どうでもいいから、

早く会話を終わらす為に肯定的に受け取る。

否定すると話が長引くから。

 

別に貴方に褒められたって、

嬉しくも何ともないです。

 

なんなら、

仲の良い友達に

 

「一緒に遊ぼー!」

 

って言われた方が心がルンルンする。

 

 

 

予め言っておくけど、

褒められることを

遠回しに自慢をしたい訳じゃなくて。

 

そこは分かって欲しい。

 

 

チヤホヤされたいなんて微塵も思わないから、

褒められたって嬉しくない。

 

自分の顔面への承認欲求は無い。

男装Barでバイトをして、常々それを感じた。

だからこうして断言している。

 

 

けど、自分で

チャンスをつくりたいから、

チャンスを掴みたいから、

その為に自分の見た目を磨く。

 

全ては人脈を広げる為に。

大物とつながる為に。

才能ある誰かとつながる為に。

 

そして、それをモノにして、

自分自身がのし上がる為に。

 

 

 

それには、

より多くの人を引きつける何かが必要で。

 

それって、やっぱ顔やん。

バカだろうが秀才だろうが関係ない。

英語よりも笑顔よりも共通言語なんだよ。

 

地元のヤンチーが乃〇坂にハマるように、

東大生だって乃〇坂にハマるように。

 

 

だから自分がそれを目指すことによって、

興味のない、大したことない男が寄ってくるのもしょうがない。

 

そんな人が来たら即排除、バイバイ。

それでいい。

 

自分がいいなと思える人と出会う為に、

そのくらいの我慢は必要だ。

 

 

 

 

 

ーー自分でも分かってる。

かなり捻くれていることを。

 

 

顔面に恵まれている方で良かったじゃん、

素直に喜べよ、強がってないでさ。

 

 

そう思う人もいるとは思う。

 

 

確かに、

元々可愛くて、幼少期からチヤホヤされてきてたら

そう思えていたかも知れない。

キラキラした美人として生きていたかも知れない。

 

 

 

 

 

けど、私は違う。

 

そもそも美人ではない。

 

それなりに努力をしてきたブスだ。

 

 

私はブスだ。

 

 

ブス。

 

 

 

 

 

自分が努力する過程で、

自分に対する態度が変わる男を沢山見てきた。

 

そして、

努力の成果が出てきつつある性格ブスな自分と、

顔面に固執していない良い子との待遇の差を見てきた。

 

 

だからこうも捻くれていると言い訳したい。

 

 

 

 

 

 

 

まず、私が完全ブスだった時代の話をしよう。

 

 

それは、中学生までの話。

 

私は男子から専らの恋愛対象外。

女の子とすら思われていなかった。

他の女子とは扱いが違った。

言葉遣いなり、手助けなりなんなり。

他の女子には言えないような、

糞失礼なデリカシーのない言葉をかけられたり、

エグい下ネタを振られたり。

机にでっかく【AV】って書かれてたこともある。

 

「アイツは女子じゃない」

 

間接的にそう言われたことを今でも覚えている。

 

まあそれは私の顔面だけじゃなくて、

性格もヤバかったのがあるとは思うけども。

 

性格の話は置いておく。

 

 

 

その頃の私の見た目はというと、

 

ボサボサのポニーテール。

ほぼハゲている前髪。

だっさいスポーツ風メガネ。

出っ歯で矯正器具をつけていた。

 

小学生からずっとそれ。

 

きもかった。

 

クラスの美人枠に入る訳がなかった。

 

別にいいんだ、それは。

クラスの男子なんてどうでもいいんだ。

男子にチヤホヤされる女子を羨ましく思わなかった。

 

 

 

けど、唯一羨ましく思ったこと。

それは、先生ウケ。

美人の方が先生ウケが良かった。

 

美人が授業中寝ても気付かないふり。

美人が課題忘れても優しく諭す。

 

ブスは違う。

ふつーに頭どつかれるし、

課題を忘れると追加課題を不敵な笑みで課された。

 

部活でもそんな感じだった。

 

学校の頂点に君臨する先生に

好かれるに越したことは無いなと、

当時は強く感じた。

 

 

 

 

 

 

そうしてこうして、高校デビュー

 

 

髪をバッサリ切った。

コンタクトにした。

 

 

同学年の男子とどうこうは特になかった。

 

 

けど、確実に先生ウケが良くなった。

 

元々愛嬌はある方だったから、

ちょっとホイホイした。

おじさんたちは満更でもなかったようだった。

 

 

おかげで、

クラスの担任と一番の仲良しと自他共に認められた。

連絡先だって唯一交換した。

 

それで何が良かったって、

色々あるけど一番は、

 

皆に内緒で指定校推薦の案内をくれたこと。

 

おかげで馬鹿なのにまだマシな大学に行けた。

 

 

 

 

 

そしてガチでマシな見た目になってきた、大学生。

 

上京してからびっくりするくらい、

男性に丁寧に扱われるようになった。

女として見られることが増えた。

ナニカに誘われる機会が増えた。

 

 

 

笑った。こうも変わるのかと。

 

 

 

 

経験上、良かったなって思ったこと。

 

【クズすぎるので閲覧注意】

 

ご飯を奢られやすい。

集りやすい。

貢がれやすい。

お願い事は聞いてくれやすい。

ワガママが可愛いと思われる。

とりあえずな気持ちで男性と付き合える。

とりあえずな気持ちで男性を弄べる。

ちょっと偉い社会人と繋がりが持てる。

偉い社会人の取り組みに参加出来る。

(ボランティアとかセミナーとか諸々)

社会人グループの中での顔が広くなる。

接客において客ウケが良い。

チップ貰えやすい。

時給が上がりやすい。

カットモデルになりやすい。

 

 

 

いいことばっかり。

チャンスがいっぱい。

 

 

付き合う付き合わないは別として、

色んな男性と関わる中で、社会勉強が出来た。

 

バイトでめちゃ早く昇級して、

バイトリーダーになれた。

 

青年会議所とのつながりから、

普通なら知り得ない様な、

多方面で活動的に何かをしてる人々と出会えた。

 

 

 

そして何より、

男性に辛辣な発言を直接した場合、

ブスな時より相手に刺さりやすいと知った。

 

性格が悪いけど、まじでそれが快感で。

 

あまり男性を肯定的に思っていないので…。

 

 

ムカつくことがあれば、

それを言いたくなるんですよね。

 

 

特に成人式、

私に乱雑な扱いをしてきた男子達が

少し塩らしくなって、

私がガンガン発言しても

それを反発なんぞせず受け入れちゃうその様よ。

 

 

垢抜けた女には従うんだなと、ねえ(笑)

 

 

 

 

 

 

その反面、私が見た闇。

 

顔面に拘りがない友人たちを見て。

 

 

 

 

とある仲の良い男友達が言った。

 

「君はセクマイでもいいけど、

あの子がセクマイなのは…ちょっと引くわ」

「なんで?」

「あの顔でソレはきついって」

 

 

 

「あー、彼女ほしい」

「〇〇ちゃんは?糞優しくない?明るいし」

「いーやー、あの子はいいや」

「なんで?」

「顔がちょっと…」

 

 

 

 

 

飲み屋に行った時、

バイト先の店長が赤の他人である客に向けよく言う言葉。

 

「あいつはブスだ、見てらんねえな」

 

 

 

 

バイト先の男共が口を揃えて言った。

「〇〇さんは、ほんとに無理」

「なんで?性格良いじゃん。

うちのバイト先の人間で一番優しくない?」

「いや、顔が無理」

 

 

 

お店に来るジジ様方。

垢抜けてないバイトの子が接客ミスをしたら、

まじで不満気な態度を示す。

一方で可愛い子が接客ミスをしたら、

いいよいいよ〜と快く許す。

 

 

 

 

 

 

専務のお気に入り(顔が良い)バイトには、

休業手当が多く入った。

その一方で、見た目が冴えない頑張り屋さんには

1円たりとも休業手当が入らなかった。

 

 

 

他にも色々ある。

上京してからたった3年、それなのに。

けどそろそろ書くのが怠くなってきたので割愛。

 

 

 

 

 

 

 

 

私みたいに、

這い上がってきたブスの友達がひとりいる。

 

 

その子は中学からの友達だ。

 

とても静かで冴えなくて、

男の子との浮いた話なんて全くない子だった。

 

 

 

今のその子は、めちゃくちゃ可愛い。

 

ホスト捕まえたり、若手社長(イケメン)捕まえたり。

 

貢がれまくっている。

 

インスタには豪華なディナーや夜景、

高そうな車でドライブしている姿、

ブランドコスメにバッグ。

 

めちゃくちゃキラキラしている。

 

ひっきりなしに男が寄ってきている。

 

 

ーーただ、その子も私に似た闇深さがある(笑)

 

男を信用していない。

割り切っている。

 

たくましく生きていく術として、

見た目に気を使って、金をかけている。

 

 

 

 

彼女と私に共通して言えること。

 

 

 

それは、

どんなに頑張って、評価されても、

何故か心が満たされることがないこと。

 

現段階では。

これから先、実る何かがあるかもしれないけども。

私たちはそれを願い、すがるしかない。

 

 

 

 

 

中学の先輩で、とてもモテる女の先輩がいた。

 

私とそのブス友からしたら、

とても嫌な性格をした先輩だった。

 

 

中学卒業し、音信不通になり、

最近になって先輩のインスタの垢を知った。

 

 

私とブス友は、性格悪そうに

 

「アイツ、全然変わってないじゃん、マジ芋で草」

「今はうちらの方が断然可愛いね」

「キラキラ女子オーラかまして、アイツに会いに行きたいね」

 

そう嗤い、貶し合った。

 

それが、

男に好かれることや口説かれることよりも、

遥かに快感だった。

 

 

 

 

私とブス友は、

もしかしたら見た目を追求するあまりに

「大切なナニカ」

を失ってしまったのかもしれない。

 

 

 

いや、確実に失ってしまった。

 

 

 

ナニカとは分かっている。

けど、ここには記さない。

 

 

記してしまったら、

今まで信じ続けてきたものが

一気に崩れてしまうから。

 

 

 

 

 

 

這い上がりたいブスは、

 

今日も明日も、これからもずっと、

 

己の信じるものにすがり、

 

そしてもがいていく。

 

 

 

 

 

シンデレラを目指す。

 

けれど絶対になれない、可哀想な人間。

 

なぜなら、

シンデレラは何一つ失うことなく、

灰を被れど、それに汚されることもなく、

幸せになったのだから。

 

 

 

 

 

哀れなシンデレラ願望の汚れた女たちは、

これからどんな運命を辿るのだろうか。

 

 

幸い、私にはそれが分かる日が近そうだ。

 

 

 

 

 

 

人生×僕=

 

別に特に習い事をしていなくても、

平均的に勉強は出来た方だし、

運動も出来る方だった。

 

だから、これから先、

何にでもなれると思っていた。

自分に万能説を唱えていた。

 

そんなガキの頃の自分。

 

 

 

けれど歳を重ねるにつれて、

それまでは何にでもなれると思っていたのに

一方で何にもなれないと気づきはじめる。

 

小さな努力が積もりに積もり、

今まで隣を歩いていた人間が

いつのまにか果てしなく先を歩いていた。

 

新しい世界で自分より優れた人に沢山出会った。

 

 

 

何にも特化していない中途半端な自分なりに、

決断をして、

何かになる努力をする必要があると気づいた。

 

それが、就職活動をするとき。

 

 

 

自分の未来は自分で舵を取らないと、

歳を重ねる一方で何も進まない。

 

恋愛や結婚、子どもとか、

よくあるライフステージ。

 

それも立派な幸せの形だし、尊重はする。

 

 

 

けどそれに意識が寄りすぎると、

どこか流れに身を任せているというか、

自分本意に欠けるというか、

自分の中で何かが進んでいるように錯覚する、

他人事のように感じてしまう。

 

だから私は、

自分の価値を仕事をする中で見出したいし、

自分の周りの人間関係を限りなく除外し

考慮した上でも

 

「私はこういう人間だ」

「私はこんなことをしてきた」

 

と、誇りを持って断言できるようになりたい。

 

私の人生の軸は常にそこにある。

 

 

 

 

先日、幸い内定を頂くことができた。

 

けれど、正直まだ迷いがある。

 

 

 

 

自分の人生、何を為し得たいのか?

誰のために?

自分はどうありたい?どうみられたい?

 

 

 

有限な時間を何に投じるべきなんだろう。

 

 

その答えを出すのはまだ先のことになりそうだ。

 

 

 

たとえはっきりと答えを出せなくても、

もやもやとした答えの中で

私はそれが明確な答えとなるよう、

一歩を踏み出しもがいていくのだろう。

 

 

 

 

 

 

「人生懸けて、僕は?」

 

 

 

 

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今回は、「懸ける」はなし。

 

 

みんな誰しも、

意識的であれ無意識的であれ、

生まれてからずっと、

毎日何かを懸けて生きている。

 

食べることだってそう。

寝ることだってそう。

勉強することだってそう。

仕事をすることだってそう。

遊ぶことだってそう。

 

なんだってそう。

 

 

 

 

「何かを懸ける」

 

ということは、同時に

 

「何かを擦り減らす」

 

ということだと思う。

 

 

 

つまり、確実に負荷がかかっている。

それほど質量がある、ということ。

 

 

 

超当たり前のことだけど、

私はそれを最近まで改めて考えることがなかった。

 

 

 

それを考えるようになってから、

 

小さなことから大きなことまで、

意思決定をする上で

更に根拠のある選択や思考ができるようになったり、

 

予めストレスを回避したり、

ストレスを解消するのが上手くなったりしたような

 

 

…気がしている。(笑)

 

 

 

 

 

 

きっとストレスを慢性的に抱えている人は、

日常生活で自分の何かしらを懸けて、

そしてすり減らしていると

そう思うんだ。

 

そこを明確に自己理解できれば、

少しは気持ちは楽になるんじゃないかな。

前向きに改善しようと思えるんじゃないかな。

 

 

 

 

私の場合は、まず

「懸けごと」を大きく3つに分けて考えた。

 

 

 

 

「時間」「体力」「命」 (+お金)

 

 

 

 

(お金は全てにおける効率化を図るもので

オプションのようなものだと思ってるから、

懸けごとの根本にはないと考えたので今回は除外)

 

 

 

 

 

そして、それぞれの特徴を考える。

 

 

 

「時間」

誰にでも平等にある。

人生で一番費やしていること。

→一方的に、常に過ぎていくこと。

ローリスク・ローリターン。

 

 

 

 

「体力」

質・量共に個人差がある。

費やさないタイミングがある。

→インターバルがある。

ミドルリスク・ミドルリターン。

 

 

 

「命」

誰にでもひとつ。

人生の岐路に立つ際に懸けるもの。

出産とか、人助けとか、さあ。(笑)

ハイリスク・ハイリターン。

 

 

 

 

 

質でいったら、

「時間」<「体力」<「命」

 

 

量でいったら、

「時間」>「体力」>「命」

 

 

 

 

 

つまり、

 

 

「体力」こそが全ての懸けごとにおける

一番の資本になる

 

と、個人的に考えている。

 

 

 

というのも、

そしてその3つのうち1つでも懸けることで

確実に言えることがあると思ってて。

 

 

 

それは、

 

 

 

他の要素が回復されるということ

「精神」が回復されるということ

 

 

 

または

 

 

 

他の要素も同時に擦り減っているということ

「精神」がすり減っていること

 

 

 

全部が全部、密接に関係しているから。

 

その中でも

質・量それぞれの観点で

常に中間に存在していて、

他との繋がりが一番強いものが

「体力」だから。

 

 

 

 

 

これを意識したとき自分の場合は、

圧倒的に後者の傾向があった。

 

負の連鎖の極み。

 

じゃあどうすれば良い?

 

 

資本である「体力」こそ、

個人差がある、

そしてそのクオリティが流動的である中で、

常に良い状態であるようにする努力をすれば良い。

 

そして、

 

すべての要素がマイナスとなる懸けごとをしないこと。

 

 

 

 

分かり易い例が、生活習慣。

 

 

体力のコンディションを整えるために、

時間を懸けてみる。

十分に寝る。

買い物をして、料理をする。

運動する時間をとる。

 

 

 

寝ないで夜更かし。

常にご飯は弁当、もしくはおやつ。

運動しないでダラダラ。

 

これは時間を懸けながらも、

また時間を短縮し効率化してるのにも関わらず

良いことが少ない。

というか、時間を懸けてる割に質が悪い。

また、せっかく時間を短縮し効率化したのに勿体ない。

 

 

 

私の場合は生き急いでいて、

時間をかけることに躊躇っていて

なんでも詰め込むことが多かったから、

次第に体も心も疲れていった。

 

だから体力を回復させるために、

敢えて時間を設けることにした。

 

おかげさまで元気になりました(笑)

 

 

 

身体が元気になれば、

だいたい心も元気になれる。

 

 

 

心が元気であることは、

自分自身の馬力

(一定の時間内に行う仕事量)

が大きいってことだから、

どんどん全てがいい方向へと廻るんじゃないかと。

 

 

 

 

 

 

 

また、何かを決断し実行する際も

常に「体力」のコンディションに気を配りつつ、

 

じゃあ具体的に

「時間」を懸けて「何」をするか?

「体力」を懸けて「何」をするか?

 

を考えるようにしてから、

それまでより具体的な計画を立てられるようになった。

より実現できる可能性を自分なりに見出せるようになった。

 

 

この日までにこうなっているようにする。

そのために、これをやる。

そのために、このくらいやる。

 

 

みたいな。

 

 

 

 

他にも、これからやりたいことが生まれた時、

同様に「体力」のコンディションを考慮しつつ、

 

「時間」を、「体力」を、

どのくらい懸ける必要があるのか?

それはなぜか?

 

を考えるようになってから、

闇雲にはじめて潰れることが減った。

物事を良い塩梅で同時進行で出来るようになってきた。

 

 

 

 

これら2つは特に、

 

ローリスク・ローリターンであるからこその

「時間」の懸け方

 

そして、

 

何を懸けることで何が減るか?何が増えるか?

 

をちゃんと考えてみることが必要なのだと常々思う。

 

 

 

 

 

 

そうやって意識的に、

何かを懸けつつも、一方的な消耗の連鎖を防ぎ

常に何かを生産できる状態をつくり続けることを

私は今一番大事にしている。(つもり♡)

 

 

 

 

 

 

ここまでタラタラと長ったらしかったけど、

別にたいしたことは言っていない。

これはみんながよく実行してることだと思う。

 

 

 

けど私は、

実行するまでの思考プロセスを

自分なりに持つことができたから、

色々応用が効くし、とても良かったと思っている。

そこに価値をおいている。

だからこうして忘れないよう、記事にしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間、体力、命。

 

 

私はその全てを、大切にしていきたい。

 

自分自身も、そして他の誰かのをも。