私のナラティブ

正しいかどうか別として ごちゃごちゃ頭の整理箱

人生×僕=

 

別に特に習い事をしていなくても、

平均的に勉強は出来た方だし、

運動も出来る方だった。

 

だから、これから先、

何にでもなれると思っていた。

自分に万能説を唱えていた。

 

そんなガキの頃の自分。

 

 

 

けれど歳を重ねるにつれて、

それまでは何にでもなれると思っていたのに

一方で何にもなれないと気づきはじめる。

 

小さな努力が積もりに積もり、

今まで隣を歩いていた人間が

いつのまにか果てしなく先を歩いていた。

 

新しい世界で自分より優れた人に沢山出会った。

 

 

 

何にも特化していない中途半端な自分なりに、

決断をして、

何かになる努力をする必要があると気づいた。

 

それが、就職活動をするとき。

 

 

 

自分の未来は自分で舵を取らないと、

歳を重ねる一方で何も進まない。

 

恋愛や結婚、子どもとか、

よくあるライフステージ。

 

それも立派な幸せの形だし、尊重はする。

 

 

 

けどそれに意識が寄りすぎると、

どこか流れに身を任せているというか、

自分本意に欠けるというか、

自分の中で何かが進んでいるように錯覚する、

他人事のように感じてしまう。

 

だから私は、

自分の価値を仕事をする中で見出したいし、

自分の周りの人間関係を限りなく除外し

考慮した上でも

 

「私はこういう人間だ」

「私はこんなことをしてきた」

 

と、誇りを持って断言できるようになりたい。

 

私の人生の軸は常にそこにある。

 

 

 

 

先日、幸い内定を頂くことができた。

 

けれど、正直まだ迷いがある。

 

 

 

 

自分の人生、何を為し得たいのか?

誰のために?

自分はどうありたい?どうみられたい?

 

 

 

有限な時間を何に投じるべきなんだろう。

 

 

その答えを出すのはまだ先のことになりそうだ。

 

 

 

たとえはっきりと答えを出せなくても、

もやもやとした答えの中で

私はそれが明確な答えとなるよう、

一歩を踏み出しもがいていくのだろう。

 

 

 

 

 

 

「人生懸けて、僕は?」

 

 

 

 

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今回は、「懸ける」はなし。

 

 

みんな誰しも、

意識的であれ無意識的であれ、

生まれてからずっと、

毎日何かを懸けて生きている。

 

食べることだってそう。

寝ることだってそう。

勉強することだってそう。

仕事をすることだってそう。

遊ぶことだってそう。

 

なんだってそう。

 

 

 

 

「何かを懸ける」

 

ということは、同時に

 

「何かを擦り減らす」

 

ということだと思う。

 

 

 

つまり、確実に負荷がかかっている。

それほど質量がある、ということ。

 

 

 

超当たり前のことだけど、

私はそれを最近まで改めて考えることがなかった。

 

 

 

それを考えるようになってから、

 

小さなことから大きなことまで、

意思決定をする上で

更に根拠のある選択や思考ができるようになったり、

 

予めストレスを回避したり、

ストレスを解消するのが上手くなったりしたような

 

 

…気がしている。(笑)

 

 

 

 

 

 

きっとストレスを慢性的に抱えている人は、

日常生活で自分の何かしらを懸けて、

そしてすり減らしていると

そう思うんだ。

 

そこを明確に自己理解できれば、

少しは気持ちは楽になるんじゃないかな。

前向きに改善しようと思えるんじゃないかな。

 

 

 

 

私の場合は、まず

「懸けごと」を大きく3つに分けて考えた。

 

 

 

 

「時間」「体力」「命」 (+お金)

 

 

 

 

(お金は全てにおける効率化を図るもので

オプションのようなものだと思ってるから、

懸けごとの根本にはないと考えたので今回は除外)

 

 

 

 

 

そして、それぞれの特徴を考える。

 

 

 

「時間」

誰にでも平等にある。

人生で一番費やしていること。

→一方的に、常に過ぎていくこと。

ローリスク・ローリターン。

 

 

 

 

「体力」

質・量共に個人差がある。

費やさないタイミングがある。

→インターバルがある。

ミドルリスク・ミドルリターン。

 

 

 

「命」

誰にでもひとつ。

人生の岐路に立つ際に懸けるもの。

出産とか、人助けとか、さあ。(笑)

ハイリスク・ハイリターン。

 

 

 

 

 

質でいったら、

「時間」<「体力」<「命」

 

 

量でいったら、

「時間」>「体力」>「命」

 

 

 

 

 

つまり、

 

 

「体力」こそが全ての懸けごとにおける

一番の資本になる

 

と、個人的に考えている。

 

 

 

というのも、

そしてその3つのうち1つでも懸けることで

確実に言えることがあると思ってて。

 

 

 

それは、

 

 

 

他の要素が回復されるということ

「精神」が回復されるということ

 

 

 

または

 

 

 

他の要素も同時に擦り減っているということ

「精神」がすり減っていること

 

 

 

全部が全部、密接に関係しているから。

 

その中でも

質・量それぞれの観点で

常に中間に存在していて、

他との繋がりが一番強いものが

「体力」だから。

 

 

 

 

 

これを意識したとき自分の場合は、

圧倒的に後者の傾向があった。

 

負の連鎖の極み。

 

じゃあどうすれば良い?

 

 

資本である「体力」こそ、

個人差がある、

そしてそのクオリティが流動的である中で、

常に良い状態であるようにする努力をすれば良い。

 

そして、

 

すべての要素がマイナスとなる懸けごとをしないこと。

 

 

 

 

分かり易い例が、生活習慣。

 

 

体力のコンディションを整えるために、

時間を懸けてみる。

十分に寝る。

買い物をして、料理をする。

運動する時間をとる。

 

 

 

寝ないで夜更かし。

常にご飯は弁当、もしくはおやつ。

運動しないでダラダラ。

 

これは時間を懸けながらも、

また時間を短縮し効率化してるのにも関わらず

良いことが少ない。

というか、時間を懸けてる割に質が悪い。

また、せっかく時間を短縮し効率化したのに勿体ない。

 

 

 

私の場合は生き急いでいて、

時間をかけることに躊躇っていて

なんでも詰め込むことが多かったから、

次第に体も心も疲れていった。

 

だから体力を回復させるために、

敢えて時間を設けることにした。

 

おかげさまで元気になりました(笑)

 

 

 

身体が元気になれば、

だいたい心も元気になれる。

 

 

 

心が元気であることは、

自分自身の馬力

(一定の時間内に行う仕事量)

が大きいってことだから、

どんどん全てがいい方向へと廻るんじゃないかと。

 

 

 

 

 

 

 

また、何かを決断し実行する際も

常に「体力」のコンディションに気を配りつつ、

 

じゃあ具体的に

「時間」を懸けて「何」をするか?

「体力」を懸けて「何」をするか?

 

を考えるようにしてから、

それまでより具体的な計画を立てられるようになった。

より実現できる可能性を自分なりに見出せるようになった。

 

 

この日までにこうなっているようにする。

そのために、これをやる。

そのために、このくらいやる。

 

 

みたいな。

 

 

 

 

他にも、これからやりたいことが生まれた時、

同様に「体力」のコンディションを考慮しつつ、

 

「時間」を、「体力」を、

どのくらい懸ける必要があるのか?

それはなぜか?

 

を考えるようになってから、

闇雲にはじめて潰れることが減った。

物事を良い塩梅で同時進行で出来るようになってきた。

 

 

 

 

これら2つは特に、

 

ローリスク・ローリターンであるからこその

「時間」の懸け方

 

そして、

 

何を懸けることで何が減るか?何が増えるか?

 

をちゃんと考えてみることが必要なのだと常々思う。

 

 

 

 

 

 

そうやって意識的に、

何かを懸けつつも、一方的な消耗の連鎖を防ぎ

常に何かを生産できる状態をつくり続けることを

私は今一番大事にしている。(つもり♡)

 

 

 

 

 

 

ここまでタラタラと長ったらしかったけど、

別にたいしたことは言っていない。

これはみんながよく実行してることだと思う。

 

 

 

けど私は、

実行するまでの思考プロセスを

自分なりに持つことができたから、

色々応用が効くし、とても良かったと思っている。

そこに価値をおいている。

だからこうして忘れないよう、記事にしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間、体力、命。

 

 

私はその全てを、大切にしていきたい。

 

自分自身も、そして他の誰かのをも。