私のナラティブ

正しいかどうか別として ごちゃごちゃ頭の整理箱

枠にはまりたくない

 

これは、

去年の夏頃の話。

 

その頃の私は、

この考え方にすがっていた。

正しいと思っていた。

 

 

 

1+1=_
1+1=_
1+1=_
1+1=_
1+1=_
1+1=_
1+1=_
1+1=_
1+1=_

 

 

 

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かつての私は、

「2」もしくは「田んぼの田」

が、答えだった。


そして、


「”田んぼの田”という発想があるだけ、自分はまだ他人よりマシだろう」


と思っていた。


馬鹿。
一番ダメな奴。
自分に対し変に自信のある、

努力が中途半端な奴。
伸び悩む奴。

 

「1」の概念として、
数学的な「1」と
文字としての「1」
という2つの見方しかない。

 

実際そんなことない。

 

 

 

 

そもそも「1」とはなんだろう?

 

「1」とは、

個体かもしれない。

液体かもしれない。

気体かもしれない。


もしくは、

存在しない何かに対する

置き換えなのかもしれない。

 

次に、「1+1」について。


双方の1は、はたして同じものなのか?


違うものである可能性だって

十分にあるわけで。

 

 

更に言えば、「+」について。


足し方は無限大だった。
チョビチョビ足したり、

ドカッと足したり。


上から足したり、

横から足したり。
外から足したり、

内から足したり。


足し方によって答えは変わる。

 

\\パッと開いて咲いーたあー//

 


うちらには「感情」があるから、

「感情」を持ってして動いてるから、

数学にはめてもはまらないことが

いっぱいあるんじゃないのかって、

最近よく思う。



感情ありきで動く自分も嫌いだけれども。

 

 

 

 

ごめん、

すごいムカつく話し方してて。

 

理数科の性が出てしまったか。

 

 

 

(数Ⅲ嫌すぎて土壇場で文転した挙句指定校推薦に逃げたなんて言えない)

 

 

 

 

 

例題。

 

 

 

私生活において、とある日、


AさんにXというアプローチをしたら

Yという結果になった。

 


しかし別の日、
AさんにXというアプローチをしたら

Zという結果になった。

 

 


これに対し違和感を感じる人はいますか?

 

 


多分いないと思う。


なぜ結果が異なるかというと、
「A」という存在が
確固たるものではないから。

 

 


「感情」という流動的で

あやふやなものを備えているからこそ、
「A」を「A」と断定できない。

 

 

 

逆もしかり。

 


自分自身が「感情」という

流動的であやふやなものを

持ち合わせている以上、


対面する物事にハマるセオリーに基づいたジャッジを下せない。


というか、確固たるセオリー自体がない。

 


そのベースに「感情」という要素が含まれるから。

 

だからこそ、

Aとは?Xとは?Yとは?Zとは?

そうなる過程は?

そこにどれだけ可能性を見出し

過程を分析し答えを追求できるか、

そうすることで常に

自分の満足できる答えを導き易くなると思う。

 

 

だから、枠にハマっちゃダメだ、

そうするといつか限界が来てしまう。

 

 

 

 

これが私なりの1+1の理論。

 

 

 

答えは無限大。

捉え方も無限大。

 

 

 

 

 

私のバイト先の後輩で、

もったいないなあという人がいた。


真面目な人だった。


体は弱いし

皿を割ったりカード機器を壊したり、
すごく困った人だったけれども、


教えたことは他の誰よりもメモを取り、
教えてないことでも先輩の動きを見てメモを取っていた。


学習意欲は一番あるように見えた。


だから私は彼に期待して、

教えられることはとことん教えた。

 

しかし、どんなに教えても

彼は吸収率が低いというか、
成長速度が遅いというか、

どうもぱっとしなかった。


1年間同じ仕事をしている割には、

新人臭が拭えない状態だった。

 

というのも、

彼は教えた通りのことしかできないから。
つまり応用が利かない。

 

なぜ応用が利かないのかというと、
提示された答えに対して、それに至る過程を理解していないからで。


ある方程式における考え方を、

彼は自分のものにできていなかったから。

 

 

バイト中私は彼に事あるごとに、
「今の場合はああだから、こうしてね」
と教える。
彼はなるほど!と思う。
しかし、「今」と同じケースは

一生訪れない。
ゲームじゃあるまいし。


接客業は一期一会、

その人その人に合わせて振舞う必要があって。

 

彼の脳内は、


今+ああ=こう


その一択だった。

 

その後「今’」という状況になった時


私の考えでは

「ああ」すれば「こう」なる予定で。
でも彼はいっこうに「ああ」しない。


そして私は

「前教えたじゃん!

なんでいつも気づけないの?!」

と彼に怒る。

 

でも仕方がないことだった。


彼の中では答えは一つなので。

 


その時初めて彼は
今’+ああ=こう
なのだと知ります。

 

 

ただ、今"の場面には対応できない。

 

 

いつまで経ってもその繰り返し。

 

 

私の教え方に問題があった。

今でも反省している。

 

 

そんな彼ですが、
いつかコロッと変わるだろう!

と信じていた。

 


だって仕事に対して

めちゃくちゃ真面目だったから。

 


しかし、

その日が来ることはなかった。

 

 

 

彼は突然

「バイトを辞めたい」

と言った。

 

初めて聞いたときはびっくりした。
彼はバイトに対し熱意がある、

そう感じていたので。

 

理由を聞いたら、

「バンド活動に専念したい」

とのこと。

 

それを聞いて私は、

「あーなるほどね」と納得した。
今まで私が彼に対し描いていた人物像は間違っていなかったんだ、
そう思った。



彼は、

 

バンド活動で結果を残す

バンド活動にかける時間を増やす

 

 

という考え方の持ち主で。

 


その考え方は妥当であり、

納得できた。

 

でも私からしたら、

うーーん、単純、、

そう思った。

 

 

なので彼に、

 

「1つのことから1つのことしか意味を見出せない人は、何をやっても途中で伸び悩むよ」


「バンド活動以外の活動から如何に価値を見出し吸収し、それをバンド活動に生かせるか?それが周りと差をつけるミソじゃない?」


「だってバンド活動で結果を残したい奴がバンドに時間かけるのは当たり前やん、みんなやってることやん」


「ただ単に時間を増やしたって変わらないよ?」


「何かを辞めて時間をつくることは簡単だけど、それは元々やっていたその”何か”を犠牲にするってことだよ?辞めなくても見直して工夫すれば案外簡単に時間をつくれるかもよ?それが出来たら、毎日がもっと価値あるものになると思わない?」

 

といった内容を柔らかく伝えた。

 

でもそれが通じること無く、

彼はさっさと辞めていった。


しょうがない、彼の中では答えは一択。

1は1でしかない。

まあきっと、バンド活動以外にも辞めたい理由があったのだろう。

 


私のパワハラが酷い、とか笑

 

 

なので私は遠くから、

彼のバンド活動を応援することにした。

 


がんばれよーーーーーーーーオ

 

 

はい。


まあこんなこともあり、
私は

絶対枠にはまらねえぞ!!!!
何事にも価値を見出し吸収し

他に応用するんだ!!!!
何事も決めつけないで

何通りも答えを見出してやる!!!!

と思う。

 

頑張ろう、彼の分まで
何かしらで絶対結果残そう。

 


分かり易く説明ができている自信がないが、

おしまい。

 

 

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私はそれ以降、

色んなことに手を出した。

 

起業スクールに通い、

男装バーでバイトをはじめ、

実習でもバイトでも、

爪痕を残すべくもがいた。

 

これからは就活。

 

けど、疲れてしまった。

しんどい、純粋に。

休もうと思っても

どうしても周りにアンテナを張ってしまう。

寝ようと思っても色々考えてしまう。

 

考えないようにするために

タバコをバカスカ吸って思考を強制終了したり

vtuberの配信を聞き

終わったらまた違うのを聞き

夜中に無駄に飲みに誘ったり

人肌を求めがちになってしまった。

 

 

限界が来たのは私の方だった。

 

 

 

楽に生きたい。

好きなことだけ頑張りたい。

単純でありたい。

 

そうあればよかった。

 

 

もう遅い。

 

 

ここからどう這い上がろうか。